June 08, 2025

飯山陽「自由社会の敵 日本保守党との死闘」(ワック 2025)を読了する。

 最初に確認しておかなければならないが、本書で「日本保守党との死闘」と称される事態の概要はすでに藤岡信勝氏による、『WiLL』4月号(ワック 2025)に掲載された「日本保守党への公開質問状」(30-39)で端的に示されている。この論考は、こうした《政治的な事案》を主題としたものとしては異例な読後感と体裁を有していると、私には思える。前者は《清々しい読後感》と云ってよく、その中心は後者の中心である《私を主語とした文体》によるところが大きいと思える。とはいえ、むろん藤岡氏はこの論考を終始《私》を主語として論述しているわけではない。だが、冒頭から使用される主語は《私》であり、それが読み手の有する「日本保守党への期待」(30)や「飯山氏の当選を熱望」(31)とーーそこには一定の熱量の差異はあるもののーー確かに対応していると云えるだろうし、自らの視座をできる限り飛翔させたままにしないとする流儀は最後尾でも同様であると云えるだろう。「これはどう見ても「壮大な詐欺」です。……ただし、ここで「詐欺」という言葉を刑事犯罪の意味で使っているわけではありません。しかし、ここまで見事に騙された有権者としては「詐欺」と表現する以外に適当な言葉がみつかりません、みんな騙されていたのです」(39)。こうしていよいよ感動的なフレーズが結びとして登場することになる。曰く、「もし、私の主張に対して百田氏と有本氏に反論があるのであれば、お待ちしています。それに対して、『WiLL』編集部も拒絶することはないでしょう」(39)。

 だが、藤岡氏だけでなく私(たち)に熱望された「反論」は《論》として何一つ提示されることはなかった。その代わりに用意されたのが飯山氏への「スラップ訴訟」(本書 19)に象徴される一連の《攻撃》と云うことになる。そうした意味合いで語れば、本書『自由社会の敵 日本保守党との死闘』の読後感には《あらゆる意味での清々しさ》は微塵もないだけでなく、むしろそれとは正反対の《鬱陶しさ》や、あるいは語られている事象への《嫌悪感》で溢れることになる。

 以前にも書いたように、私は『エジプトの空の下』(晶文社 2021)を読んで以降、飯山陽氏のファンを自認しているが、それだからと云ってその政治的なスタンスの一切を支持しているわけではない。だが、本書を読み進める段階で、それこそ「はじめに 日本保守党に訴えられました」(1-21)を読み進めている段階ですでに、《飯山氏支持》を語りださなければならないと思うようになっていた。それは、飯山氏に関わる「ニチホ」の所業があまりにも醜悪極まりないものと思えたからである。飯山氏の論述は一貫して具体的な《事実》に基づいて為されている。所謂「事実」なるものが《すでに常に解釈された事実》であることは承知している心算だ。だが、これらの一連の出来事連関において基本的な構図とはアクションを起こす「ニチホ」サイドと、それに対するリアクションが飯山氏である。つまり、こうした構図内において構成される《事実群》は特別な処置を必要とすることなく、むしろ常識知あるいは《共通感覚》に基づいて対処可能であろう。いい換えると、飯山氏は具体的な《事実》に基づいて論述されていると云ってよいだろう。そうであれば、私が取るべき途は一つだけであろう。《義を見てせざるは勇無きなり》。ぜひ多くの方々に本書を読み、じつに《嫌な気分》を味わい、そしてどこに《義》があるのかを見極めてもらいたいと熱望する。

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November 25, 2024

「<独自>川口クルド人「出稼ぎ」と断定 入管が20年前現地調査 日弁連問題視で「封印」」

 『産経ニュース』(ディジタル版)に時宜にかなったシリーズ記事「「移民」と日本人」の一環として「<独自>川口クルド人「出稼ぎ」と断定 入管が20年前現地調査 日弁連問題視で「封印」」が掲載されている。是非とも読んでいただきたいと痛烈に思う。現時点でこのシリーズには他に、「「軍と警察呼んだ」川口クルド人の出身地訪ねた記者を恫喝 両親「日本で成功の息子誇り」」と「「難民なんて全部ウソ」「働くため日本へ」川口の難民申請者の8割、トルコ南部3県に集中」がある。どちらも併せて読まれることを強く勧める。さて、注目の記事のリード文は次のとおり。

埼玉県川口市に集住するトルコの少数民族クルド人をめぐり、法務省入国管理局(現・出入国在留管理庁)が20年前の平成16年、難民認定申請者の多いトルコ南部の複数の村を現地調査し「出稼ぎ」と断定する報告書をまとめていたことが24日わかった。しかし日本弁護士連合会が「人権侵害」と問題視したことから、調査結果は表に出なくなった。これらの村などがある3県の出身者は現在も同国の難民申請者の8割を占めることも判明、報告書からは、クルド人の難民該当性について、すでに一定の結論が出ていたことがうかがわれる。

今日において《問題》とされている「川口クルド人問題」が発生する主因の一つが、おそらくは日弁連による「トルコ出張調査報告書」を「「人権侵害」と問題視したこと」によると云えるのだろう。この記事によると、日弁連の論理はいかにも形式的であることが知られる。「当時、クルド人らが難民認定を求めて各地で裁判を起こしており、同省が訴訟対応として16年6~7月、これらの村へ入管職員を派遣し、生活実態などを調査した 」。「報告書が訴訟資料として法廷へ提出されると、クルド人側の弁護団が問題視。入管側が難民申請者の氏名をトルコ当局へ伝え、現地の家族を訪問していたことなどを記者会見して非難した。当時のメディアも「法務省が不手際」「迫害の恐れ」などと批判的に報じたが、報告書の内容自体には触れなかった」。マス・メディアの論理は《内容にも経緯にも》触れられていない、要は形骸に焦点化されている。その後、「日弁連は翌17年、「難民申請者の情報を提供することは、新たな迫害を生む恐れがあり、重大な人権侵害だ」として当時の法相あてに「警告書」を出した」。ここに在るのも《精神なき形骸》である。「報告書は、氏名を伝えたのは申請者から提出された本国の「逮捕状」の真偽を確かめるためで、トルコ側から「氏名がなければ照会できない。欧州各国も同じ方法で事実確認を求めている」と指摘されたためとしているという 」。そりゃそうだろう。トルコ本国から「逮捕状」が出ているか否かの真偽も確認しないで、どうやって「難民」とやらの《認定》ができると云うのか、日弁連はそれ以外の方途で「難民申請者」への審議の術を明示すべきではないのか。具体的な調査方法を念頭に置くこともなく、形式的な真偽判定を標榜するのは、明らかに《精神的頽廃》と云わざるを得ないだろう。

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November 22, 2024

島田裕巳著『神道はなぜ教えがないのか』(増補版 育鵬社 2023)を読了する。

 島田裕巳著『神道はなぜ教えがないのか』(増補版 育鵬社 2023)を読了する。島田先生の作品を拝読するのはずいぶんと久しぶりになるが、相変わらず読み易く、しかもその理路には力みも無駄もない良書だと思う。だが、それ以上に感謝したいのは、少なくとも私にとって《長年の異和》に答えてくれている点だ。ここで云う《異和》とはとりたてて特別な事項ではなく、日常的には《瑣末な事柄》と云ってよい。それを本書の「はじめに」で筆者は定式化している。「日本の国内では、宗教の有無について聞かれることはほとんでないが、海外に出かければ、それを聞かれる。そのとき、多くの日本人は戸惑う」(3)。私の《異和》は、ここに在る「戸惑い」に近似している。学部生の頃はかなり力んで《無神論者》に憧れている風であったようにも思えたが、むろんそうではないし「ブディスト」(4)とは云い難い。とはいえ、私には確実に《宗教性らしき心性》が内在しているように感じられて久しい。だが、「シントイスト」(4)と表明するほどでもないような気がするし、「アニミズム」への傾斜と云うことになれば、それは断じて違うと思いたくなる。こうした《堂々巡り》が異和の正体だと思っていたのだ。本書では、《神道の内実》と云うか例えばアニミズムへの論議を一切しないで、神道を語っている。これは見事としか云いようがない。「神道がどういう宗教なのかを説明しようとすると、いかにそれが難しいかがわかってくる。/説明できないのは、その人間に知識が欠けているからではない。他の宗教に比較したとき、たしかに神道は難しいのだ。」(5)。そして、「神道は日本人を知るための鏡であるかもしれない」(ibid.)。これらの認識が「はじめに」で明確に語られる。目次は次の如く。

 「第1章 「ない宗教」としての神道」「第2章 もともとは神殿などなかった」「第3章 岩と火 原初の信仰対象と閉じられた空間」「第4章 日本の神道は創造神のない宗教である」「第5章 神社の社殿はいつからあるのか」「第6章 「ない宗教」と「ある宗教」との共存」「第7章 人を神として祀る神道」「第8章 神道は意外にイスラム教と似ている」「第9章 神主は、いらない」「第10章 神道には生き神という存在がある」「第11章 伊勢神宮の式年遷宮はいつから行われているのか」「第12章 救いのない宗教」「第13章 ないがゆえの自由と伝統」「第14章 浄土としての神社空間」「第15章 仏教からの脱却をめざした神道理論」「第16章 神道は宗教にあらず」「第17章 「ある宗教」への始動」「第18章 「ない宗教」の現在と未来」「おわりに」

 宗教研究者にとっては自明に属する事柄なのかもしれないが、私に強烈な印象を与えた認定、それは殊に第9章で特徴的に描かれている。「寺院では、礼拝や祈願だけではなく……僧侶が修行を実践したり、学問の研鑽を行う場でもある。……寺院はあくまで「人のための場所」である。……それに対して、神社の場合には、基本的に修行の場でもなければ、学問のための場でもない。……神社において重要なのは、神が鎮座していることにあり、その意味でそこは徹底して「神のための場所」である」(106-107)。なるほど、この時に《目から鱗がとれた》感触を受けた。この対比関係が前提として成立していないと、私のような《周辺的な知識》をいくら漁っても神道と仏教との関係を明瞭に把握できない。そう思えた。「ない宗教」としての神道が私の内で生き続けている。この認識は恐ろしくもあり愉快でもある。本書の読了によて、それらのことに気付かさせていただけたのだと思う。

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November 21, 2024

「偽名でウイグル講演侵入の中国人院生、宮城県警が書類送検 相次ぐ不審な撮影は当局関与か」

 『産経ニュース』(ディジタル版)に「偽名でウイグル講演侵入の中国人院生、宮城県警が書類送検 相次ぐ不審な撮影は当局関与か」が掲載されている。奥原慎平記者によるものだ。そのリード文は次のとおり。

「宮城県警は20日、仙台市青葉区に住む中国籍の大学院生の男性を私電磁的記録不正作出・供用の疑いで書類送検した。令和3年6月頃、4年1月頃に日本ウイグル協会のサイトから協会主催の講演会に虚偽の日本人名で申し込むなどした疑い。協会の講演会を巡っては、中国語を話す人物が撮影して回るケースが相次いで確認されており、協会は「現地の中国当局の指示」とみて人権活動に関わる在日ウイグル人の情報が中国当局に渡ることに危機感を強めていた。」

問題は、「メールで「バイト」を募」り、この中国人留学生がそれに該当している可能性のあることだ。「例えば、5年7月に神奈川県逗子市で開かれたウイグル人証言集会。会合に先立って報酬付きで集会の撮影者を募集するメールが在日中国人に出回った。①参加人数②配布資料の部数③講演者数④自治区出身者数─などの情報を求める内容。送り主の男性が中国から出席する予定だったが、悪天候のため飛行機が飛ばなかったため代理を募ったという」。こうした事態が常態化していると云う。「なぜ、こうした情報を集めるのか─。主催した丸山治章・逗子市議は「中国当局に送られていることは想像に難くない。中国国内と同じく、在日ウイグル人の活動を監視しようとしているのだろう。放置するのは危険だ」と指摘する」。まさに、そのとおりだろう。在日ウイグル人への《人権侵害》の可能性がこのように顕在化しているのであれば、それに対処するのでなければ我が国は主権国家としての体をなしていないと云わざるを得ないのだろう。今回の「書類送検」にたいして、「協会のレテプ・アフメット会長は、「中国当局はやりたい放題で活動の情報を取っていた。人権活動に対する『スパイ』を書類送検したことは非常に意味がある。在日中国人が軽い気持ちで加担することが抑止される」と宮城県警の対応に謝意を示し、「平穏な日本社会で外国のスパイ行為が暗躍している実態を知って、問題意識を持ってほしい」と語っている」と云う。私には、こうした事象を座視して済ませて良い事態ではないと思える。

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October 11, 2024

《虚偽は暴かれる》と云う自明な基準を成立させたい。

 『産経ニュース』(ディジタル版)で大竹直樹那覇支局長の署名記事「<独自>辺野古抗議活動制止警備員死亡 事故映像を入手 11日に県議会で映像確認へ」を拝見する。おそらく、これがスクープと呼ばれるものなのだろう。連続した写真と共に「辺野古抗議活動」と云う《目的のためならば手段を択ばない集団的な意志》が如実に明らかになるように仕上がった記事である。沖縄県議会の議論が待たれると云う記事の構成になっているが、事実関係を明確にできる資料としての意義があるようにみえる。次が、その経緯を描写した箇所である。

「映像や関係者らによると、死亡した警備員は当初、重傷を負った女性とは別の抗議者に対し、路上で対応していた。警備員は、この抗議者を歩道に誘導したが、歩道後方から足早に近づいてきた女性が警備員と抗議者の間をすり抜け、徐行しながら国道に向かうダンプカーの前に出る様子が映像に残されていた。/警備員は女性を制止しようと、ダンプカーと女性の間に割って入る形となり、そのままダンプカーの左前面に衝突。10秒ほどの出来事だった。」

そろそろ、《手段の妥当性》について吟味し得る議論が成立してもよいのではあるまいか。《歩行者と云う弱者を装った流儀》に終止符を打つ好機であると思えてならない。

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October 10, 2024

在日ウイグル人らへの中国当局からの「圧力」

 『産経ニュース』(ディジタル版)に記事「「家族がどうなっても知らない」在日ウイグル人らに中国当局が圧力 人権団体HRWが報告」が掲載されている。別段に《新たな知見》が示されているわけではないが、やはりうんざりすると云うか、気が滅入る事態ではある。いったい何時まで、こうした事態に堪え続けなければならないのだろうか。そのリード文は以下のとおり。

国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は中国当局から受けている「圧力」の実態を巡って、日本で暮らすウイグル、チベット、内モンゴル自治区出身者らにインタビューし、「中国が海外にいる政権批判者に対して嫌がらせ」と題して、10日に結果を公表した。多くが中国当局にデモ活動の取りやめや中国人活動家の情報提供を求められ、自治区に残す親族らも脅迫めいた連絡を受けていた。HRWは「活動の自由など基本的人権は守られるべきで、圧力は許されない。日本政府も情報収集して中国政府に首脳会談などで反対を表明してほしい」と訴える。

現況の日本政府に然したる期待を寄せているわけではないが、それでも、もう少しだけでも《毅然とした態度》を示してもらいたいものだ。記事にもあるように、例えば「HRWのアジア局プログラムオフィサー、笠井哲平氏は「中国当局は何のためらいもなく、日本で中国政府の人権侵害を批判している中国出身の人々を口封じしようとしている」と指摘する。日本政府に対しては「中国政府に、国境を越えた人権弾圧を許容しない姿勢を明確にするべきだ」と訴えた」と云う、これ程度ぐらいは示してもよいのではあるまいか。

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October 08, 2024

飯山陽氏の示す態度に全的な信頼を寄せたい。

 「飯山あかりちゃんねる」で「【緊急】日本保守党の衆院選候補者に飯山陽がいない件について」を拝聴する。そのタイトルのとおりで、日本保守党の衆院選候補者に飯山陽氏がいない理由について《解説》が為されていた。それによると、《よく判らない》と云う結論になる。何故ならば、《日本保守党からは何の連絡もない》からだと云う。その根拠について《あれこれ》と語られていたが、《この事実》以外は全て推測であって、それ故に、ここで私が論評すべきものではないと思える。だが、要するに《連絡がないと云う事実》が雄弁に物語っているのは、それが《礼を失した行為連関》だと云うことに尽きるだろう。飯山氏は《用済み》などの言葉も用いていたが、《意見の対立が存立すること》と《礼を失する行為の顕在化》とは論理的には対立軸にはなり得ない。その意味で語れば、より顕著な《いかりチャンネル》に戻ってもよいのではなか、などと思えてくる。何れにせよ、飯山氏の毅然とした態度に顕現化している《矜持と覚悟ある意志》に全的な信頼を寄せたいと思う。




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October 03, 2024

青木宣親選手の引退し合いは《良き祝祭空間》だ。

 『産経ニュース』(ディジタル版)に素晴らしい写真群を伴った記事「ヤクルトの青木宣親、引退試合で2安打 「21年間、夢中で突っ走ってきた」と涙」が掲載されている。じつに良い試合でありセレモニーであった。それに対応した良い記事だと思う。不世出の選手への感謝と尊厳をよく示したスワローズ球団の準備の周到さも素晴らしかったと思う。それを端的に示していたのが、青木選手の挨拶と云う流れに掉さして挿入された《イチロー選手のインタビュー映像》だろう。そうした一連のセレモニーだけでなく、高橋奎二投手の好投に始まる勝利試合そのものが《良き祝祭空間》であり、この記事はそれらを見事に反映し得ているのだと思う。

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September 13, 2024

ありがとう、青木選手!

 今シーズンの様子からもしかしたらとは思っていたのだが、『産経ニュース』(ディジタル版)に運命の記事「青木宣親が引退会見「やり残したことない」「100点満点」 一番の思い出はヤクルト日本一」が掲載されていた。「9/13 13:41」とある。私にとって青木宣親選手に関する一番の想い出は、何年の出来事だったかも定かではなくなってしまったが、6月であったことはよく覚えている。彼が渡米するよりもだいぶ前のことだったと思う。そう神宮球場で、彼が先頭打者ホームランを打ったのだ。私はビールを買い込んで外野席に入ったところだった。《打った》、それもホームランだ。当然のこととして、《諸手を挙げた》。その時、購入したてのビールが《宙を舞った》。たった一人の祝祭は幕を閉じ、妙な恥ずかしさだけが残った。だが、さすがに優しいスワローズファンだ、何もなかったかのように、「空いてますよ」と声をかけてくれた。《ありがったかった》。さて、リード文は次のとおり。

プロ野球のヤクルトは13日、球界野手最年長の青木宣親外野手(のりちか、42)が今季限りで現役を引退すると発表した。同日、東京都内で引退会見を開き、「ほっとしてます。自分が思ったようなパフォーマンスをファンに見せることができないというのが一番の理由です」と決断の理由を口にした。

「ほっとしています」と云う言葉のままに、じつに良い笑顔の写真が添えられている。少し残念ではあるが、感謝と共に慰労の念も当然にある。《本当に、ご苦労様でした、ありがとう青木選手》。

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September 04, 2024

門田隆将『狼の牙を折れ』(小学館文庫)を読了する。

 門田隆将『狼の牙を折れ――史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』(小学館 2024)を一気に読み終えた。これは、2013年に上梓された単行本の文庫版である。さて、本書はいくつもの活劇があちら・こちらと幾層にも織り交ぜられながら演じられている感じで、何しろ面白い。くわえて、このノンフィクション作家は取材のパラノイアではないかと思わずにはいられない。たとえば公安部のある刑事や産経新聞の記者やカメラマンなどの出身校や生い立ち・家族構成などを是が非でも知りたいと願う人物は、そうはいないにちがいない。おそらくはそれを承知のうえで、一連の記述は為されているのだと思う。しかも、それらは蛇足としてではなく、明記されることが当然であるように《そこに》安定的に置かれている。これが《筆の力》と云うものなのかもしれないと再認識する。と云うわけで、本書の魅力は〈読んで確認する〉以外にはないように思えるのだが、では本書の主題はとなると、むろん「東京を恐怖に陥れた東アジア反日武装戦線と、警視庁公安部との熾烈な戦いの内幕」(11)となるのだろう。だが、より基底部に位置するのは「日本中が「反権力」という熱に浮かされ、最も大切な「人命」さえ蔑ろにされた時代」(9)を描写することであったと云えるだろう。しかし、第十九章「事件は終わらず」(401-413)なのである。「東アジア反日武装戦線の若者たちが取り憑かれていった「窮民革命論」は、「反日亡国論」につながるものである。すなわち「日本」という国家、あるいは「存在」そのものを否定し、嫌悪する人々が信奉するのが、これらの理論である。/しかも、その心情的シンパは、今も驚くほど多い」(427)。この《時代認識》が要諦だろう。要は、《ソフト化され、水増しされ薄められた仕方の窮民革命論》が《終わらずに存立している》、この認識が本書を一貫して支えている。是非とも、読むべし。

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«長谷川三千子著『民主主義とは何なのか』(文藝春秋)を読了する。