時代が変わるとき
本日、夕張市の再建計画が確定したという。
http://newsflash.nifty.com/news/tk/tk__kyodo_20070228tk460.htm
よくいわれていることだが、「夕張市」は時代の変化という基本趨勢の象徴的な出来事だろう。
「時代が変わる/変わった」という台詞はよく耳にするが、それが意味する事態を社会学、あるいはよりひろく人文・社会系の学問はどれだけ理論的に捉えてこられたのだろうか、そんな自問が生じた。
たとえば、1945年に迎えた敗戦は、こうした画期の1つだろう。
闇市、闇米……、多くの人々が生活者として強く生き抜いた基本趨勢の一方で、むろん、この変化に「取り残された人々」もいた。
1985年に故岩井寛先生との関わりからお会いした老齢の統合失調症の患者は閉鎖病棟から決して出ようとはしなかった。かのじょの「妄想」では、その病棟以外は「米兵に占領され、日本人はすべて原爆で死んだ」。かのじょは広島市在住の被爆者であったが、いつが発症時期かも不明なままだと伺った記憶がある。
かのじょが「発見」されたのは高度経済成長期であったという。
この時期」は現在、「変わった」と感じさせる1つの「時代性」の基本を形成している。
記憶のなかの老女と共に、やはり「時代が変わること」の意味をより多角的に考えなければならないことを改めて感じた。

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