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February 28, 2007

時代が変わるとき

 本日、夕張市の再建計画が確定したという。
 http://newsflash.nifty.com/news/tk/tk__kyodo_20070228tk460.htm

 よくいわれていることだが、「夕張市」は時代の変化という基本趨勢の象徴的な出来事だろう。

 「時代が変わる/変わった」という台詞はよく耳にするが、それが意味する事態を社会学、あるいはよりひろく人文・社会系の学問はどれだけ理論的に捉えてこられたのだろうか、そんな自問が生じた。
 たとえば、1945年に迎えた敗戦は、こうした画期の1つだろう。
 闇市、闇米……、多くの人々が生活者として強く生き抜いた基本趨勢の一方で、むろん、この変化に「取り残された人々」もいた。
 1985年に故岩井寛先生との関わりからお会いした老齢の統合失調症の患者は閉鎖病棟から決して出ようとはしなかった。かのじょの「妄想」では、その病棟以外は「米兵に占領され、日本人はすべて原爆で死んだ」。かのじょは広島市在住の被爆者であったが、いつが発症時期かも不明なままだと伺った記憶がある。
 かのじょが「発見」されたのは高度経済成長期であったという。
 この時期」は現在、「変わった」と感じさせる1つの「時代性」の基本を形成している。
 
 記憶のなかの老女と共に、やはり「時代が変わること」の意味をより多角的に考えなければならないことを改めて感じた。
 

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February 27, 2007

講演会:科学と技術の哲学

 murataさんから「講演会のお知らせ」が届いていた。
 コンピュータが壊れかけたこともあり、放置してしまった。
 じつは、社会科学基礎論研究会のMLに投稿したのだが、添付ファイルがあったためか機械的にはじかれてしまった情報である。
 私は残念ながら行けないのだが、盛会をお祈りしている。
 それにしても、たまには「ドサ周り」があってもいいとおもうのだが……。

 講演会のお知らせ
 以下のような講演会を行いますので、皆様奮ってご参加ください。なお
 今回の講演会は二一世紀COE「共生のための国際哲学交流センター」
 によるFinal lectures of UTCPシリーズの第一部をなすものです。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/forthcoming.html#anchor_Seminars

場所:東京大学教養学部、18号館4階、コラボレーションルーム3

 (*)Jenann Ismaelさんは、アメリカ、アリゾナ大学の科学哲学の助
 教授で、物理学の哲学、時間の哲学、心の哲学など幅広い研究分
 野で活躍されています。今回の話題については、Ismaelさんのホーム
 ページ
に掲載 されている同名の論文を参照してください。
 Hans Radderさんは、オランダ、Vrije大学の科学哲学の教授で、実験に
 関する哲学研究で著名な方です。すでに多数の著作を発表されています
 が、今回は、最近出版されたThe world observed/The world conceived
 (Pittsburgh: University of Pittsburgh Press, 2006)に基づいた講演
 を行ってくださる予定です。
 Andrew Feenbergさんはカナダ、バンクーバーのサイモン・フレイザー
 大学の教授で、すでに日本語に訳された著作『技術――クリティカル・
 セオリー』『技術への問い』などで著名な哲学者で、駒場での哲学COE
 の活動に最初からさまざまな形でコミットしてくださりました。今回は、
 この5年の間の仕事の成果として公刊された著作Heidegger and
 Marcuseの内容に即した講演を行ってくださる予定です。

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February 26, 2007

円楽さんの引退

 三遊亭円楽師匠が引退を表明したという。
 お疲れさまでした。
 月並みだが、このことばをお贈りしたい。
 だが、同時に、少し触れておかなければならないことがあるように感じる。

http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tt__nikkan_p-et-tp0-070226-0014&csvname=293336563

 軽度とはいえ脳梗塞で倒れたのだから、その「後遺症」と、かれのプライドや「芸の設定水準」を考えれば、これはもっとも妥当な「幕引き」なのかもしれない。
 それはそうおもうのだ。
 ただ、別の可能性はないのだろうか、そんな印象が拭えない。
 かれの場合は「病気の後遺症」というわけだから、むろん今回の対応にはそれなりの説得力はある。だが、これを加齢に伴う出来事として一元的に還元して捉えることはできないのだろうか。
 そもそも、これから書く問題設定がまちがっているのかもしれないのだが、加齢に伴い、それぞれに「病気」は抱え込まざるをえないようにおもうのだ。むろん、「健康体のままに年を取ること」が不可能だとはおもわない。だが、蓋然的にみれば、加齢と「体調不良や何らかの病状の増加」は正の相関があるのではないかとおもう。
 もしもそうであれば、「ろれつのまわらない」噺家が、高座という市場にあがったってよいようにおもうのだ。
 かれが「商品」であるならば、その価値は聴衆という顧客が判断すればよい。
 この単純な構図に自ら身を置くことは、まちがいなくつらいにちがいない。それが、高い水準を目指し、維持してきた方であれば、なおのことそうだろう。
 だが、「ろれつのまわらない噺家」が即つまらないと決まっているわけではなだろう。要は如何に「ろれつがまわらないか」、その「まわらなさ加減」に快楽が生じないとも限らないからである。
 それは、たしかに人生の大半で生き生きと機能させてきた「芸の設定」とは異なるだろう。それゆえ、同一の基準においては、こうした設定自体が「恥ずかしい」ことにちがいない。
 だが、別の基準の可能性は一考にすら価しないのだろうか。
 私には、そうはおもえない。
 とはいえ、こうした「提案」はたんなる可能態においてにすぎない。「現実的には」、そんな隘路に赴くことは難しい。それもよくよく解ってはいるのだが、やはり、「老害」とは徹底して異なる仕方で、ある種の「未踏の地」への扉を開ける可能性は、――それまで生きてきた、その延長という意味で、日常にある「そこ」にあるように感じられてならない。

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February 25, 2007

心に染み入る一言

 BS2で筋肉少女帯の復活ライブを放映していた。
 そのなかで大槻ケンジが「プロレスラーの引退とロックバンドの解散は信用するな! おまえにいわれたくない」と発言している。
 基本的な勘所を押さえた言及に妙に嬉しくなった。

 途中から観たからなのかもしれないが、「ボヨヨン」が聴けなかったのは残念ではある。
 今度yasuに会ったら、唄わせてしまおう!

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February 24, 2007

利尻富士をバックにして

 掲載している写真を変更してみた。
 以前に載せていたものは、 たんに「手近にあったもの」、つまりは間に合わせだ。
 だから、「気に入っていた」わけではない。
 しかし、かいしょーさんから「なんだかなぁ」という主旨のコメントをいただき、それが契機で気になりはじめた。
 おもしろいことに、気にしてみると、「写真のタイトル」が透けてみえてくる。

 ギターを弾く中年:青春の日々を引きずって……。

 あれには、こんな感じの「意味」が漂っている。
 少なくとも、「あえて」あれを掲載しているのだから、このへんが妥当なところだというべきだろう。
 正直にいって、老いのベクトルがリアリティをもってから既に10年近くにはなる。
 だから、別段、それも悪くはないのだが、それでも、こうして「意味」を確定してしまうと、やはり、否定もしたくもなる。
 
 そこで発見したのが「新掲載写真」だ。じつは、これだと誰だか判らないようにもおもえるのだが、それはそれで仕方のないことだろう。
 このバックは利尻富士。以前に友人のhigurashi氏が遊びにみえた折に撮影してくれたものだ。
 荒涼とした雰囲気をみごとに切りとっている。
 
 洋服や空気の感触からして「秋」とおもえるだろうが、「8月」に撮影されたものだ。
 ここは亜寒帯なのだから、「内地の常識」は通用しない。
 
 

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February 22, 2007

月光仮面は反資本制的な正義の味方だったのか

 私は川内康範氏という方をまったく「知らなかった」。

 ここのところ、TVのワイドショーをはじめとして、さまざまなメディアで「おふくろさん騒動」が報じられている。それではじめて、「すごい耳毛の翁」が川内氏であることを知る。
 あの「月光仮面」の「原作者」にして「主題歌の作詞家」と紹介されていたから、おそらく何度も何度も、かれの名前は目にしていたのだろう。
 でも、知らなかった。

http://sports.nifty.com/cs/headline/details/et-ns-f-et-tp0-070221-0001/1.htm

 私は「おふくろさん」という歌謡が好きではない。
 唄い方が脅迫的だし、曲調も好きにはなれない。でも、もっともの異和は、今話題の歌詞だ。
 汎神論ならぬ「汎母的世界観」とでもいうのだろうか、あれが駄目だ。昔も今も。
 あんな「献身的かつ自己犠牲的な母親」はいらない。許して欲しい。

 TVでは、実母への「思い入れ」が強いといった主旨で語られていたが、たとえ実際にそうであろうとなかろうと、この作詞家の心性は、「日本的情緒」に向けられている。
 大衆へと直接に語りかけた「日本浪漫派」とでもいえばよいのだろうか。
 表象された「共同的情緒」に架橋され、「美しき野山とともに、みごとに佇む母親」だ。

 この推察が妥当ならば、月光仮面はおそらくは「反資本制的情緒」において「正義の味方」だったのだ。

 ちにみに私は、よりリアリティのなさげな「少年JET」と「ハリマオ」のほうが好きだった。

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February 21, 2007

脚が生えてきた!

 「子ども時代」の記憶、第2弾。
 
 先日、傷痍軍人について少し触れたが、これは1962年か63年の池袋でのこと。

 ある友だちが「東口に、いんちきしょうい軍人がいる」という。

 この情報は確かめられなければならない。
 私たちは、たぶん小3だったとおもう。
 池袋からは西武線で1つ目の「椎名町」からだと歩いていくのは少したいへんだ。
 だが、そこは正義のためだ。
 だから、誰からも文句1つもでなかった。
 でも、正義の実現には時間がかかる。
 東口に着いてから、それらしい「いんちき野郎」を物色するも、該当者が誰なのかは、皆目わからない。

 時間だけが経過する。
 
 それなりの雑踏にいるだけでも疲れるのだ。それが椎名町の子どもというものだ。
 それが長時間で、しかも、今回の遠征には大義がかかっている。
 だから、その分かなり疲れた。

 もう帰りたい。
 だが、誰もそれをいいだせない。
 そんな状態のときに、ある傷痍軍人が動いた。
 かれには「うさん臭さ」は感じられない。
 だから、かれを追っても、たぶん徒労に終わるはずだ。
 それは誰もが判っていたのだ。

 「動いたぞ!」

 私のこの一言で、我が部隊は追跡を開始した。

 松葉杖を左脇にして、かれは歩く。
 コツコツ、雑踏の騒音は消えた。
 少年探偵団も、かれの後ろを移動する。目白方向だから、かれの住処はたぶん「びっくりガード」近辺だろう。
 
 「気づかれるなよ!」
 (誰の声だ? 隊長はオレだろうが!)

 かれの足取りは規則的で、乱れる予兆もない。
 左足のズボンは膝の下で結ばれて、歩調と共にユルユルと揺れている。
 
 裏道に入った。
 私たちは気づかれないように待った。
 (まだ、曲がってはいけない。 かれの歩幅であれば、決して遠くにはいけないはずだ。)

 そして、時が満ちた。
 私たちも角を曲がった。
 
 かれが両足で立っている。 

 エェェェェェェェェェェ!!
 かれに左足が生えている!

 我が目を疑う前に、私は叫んだ!

 「このぉ、いんちき野郎! さぎオヤジ! こいつ、かたりだぞぉ!」 

 かれは、私が正義の弾劾を終える前に、もうすごい形相だ。
 しかも、動きも俊敏だ。
 松葉杖を片手で持ち上げながら、こちらに向かって走りだしている。
 速い。
 さっきとは比べものにならない。

 友だちはギャァァァァと叫んで、私よりも先に逃げていく。
 (殺られる!)

 この時、私はみんなとは逆方向の雑踏に向かった。
 奴が追っているのは私だ。

 「みなさぁーん! このオヤジは偽者ですよ!」

 私は「人民の海」へと泳ぎはじめたのだ。どうだ、この海の快適さは。
 敵は、ここまでは入ってこれない。
 ホレホレ ホレホレ

 「ほぉら、ここまで来いよ!来てみろよぉ!」
 (勝ったゾォ!)

 こうして正義の鉄槌は降ろされたのだ。

 私たちは疲れを忘れた。
 意気揚々。

 夕飯にはまだ間に合うな。

 興奮した私たちに赤い夕日がまぶしかった。

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February 20, 2007

壊れるか

 日常的に用いているコンピュータが不調だ。
 一昨日から、ガリガリと音を立てている。これはたぶん、ハードディスクが壊れる前兆だ。
 そうおもって相談をしたら、的中。こうした「大当たり」は嬉しくない。

 今は急いでバックアップの作業中。普段がいい加減だと、こうした「いざ」というときに、たいへんだ。

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February 19, 2007

子ども時代

 友人のSUMITA氏が「誰が懐かしがるのか」と題して映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に触れている。
 かれ曰く、

最後の場面で、荒川の土手(?)から眺められた遠景の東京タワーが登場する。これは東京タワーの足下に暮らす東京の住民のランドマークとしての東京タワーではない。言ってしまえば、それは田舎者の視点から眺められた東京タワー、さらに言えば、抽象的な日本国民という視点から眺められた東京タワーである。この視点に同化して、この話を東京ローカルの話ではなく、日本国民の歴史物語(高度経済成長前夜とか何とか)として受容するときに、〈懐かしさ〉を感じることができるというわけだ。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070219/1171860573

 適切な指摘だとおもう。

 私も「最後の場面」の東京タワーの映像に「富士山的な手法」を感じ、せっかくの「懐かしさに水を注された」というか、より強烈に「冷水を浴びせられた」感じがあって、かなりムッとなった。

 じつは、私はこの映画をほんとうに懐かしく観た。
 
 子ども時代に、叔母たちと外出し、建設途上の「東京タワー」をかなり遠くから観たことをおもいだした。
 その日の「おでかけ」の目的が何だったのかは、そのときも理解していなかったが、少なくとも「工事中のの東京タワー見物」でなかったことだけは確かだ。

 目的ではなかったのだが、いきなり「それ」がみえたとき、大人はみな驚嘆していた。
 だが、私はその大きな鉄骨群を「タワー」だとはまったく理解できなかった。
 理解できたのは「それが工事中」ということと、「かなりでかい」ということぐらいだった。

 大人たちの感慨・驚嘆とのギャップ、その異和は強烈だった。
 私の記憶では、その「東京タワー」はぜんぜん赤くもなかったとおもう、たぶん――じつは、「色」という契機は、この映画ではじめて気づいたので、まったく定かではないのだが。
 
 だから、その後、遠足でいったときの完成した東京タワーと、それ以前に叔母たちと観た「東京タワー」が同一だとはおもえなかったものだ。

 高く、赤く、誇らしく。

 まだ街頭には「傷病兵」がハモニカを吹いていたし、祖母はいつも何がしかの小銭を感謝を込めてかれらの前に置かれた箱に入れていた。倹約家であった祖母にしては、それはそれは珍しい行為だった。

 さて、最後に、SUMIYA氏の指摘に基本的に異論はないのだが、それでも、「高度経済成長期」は1950年代中頃からとみるのが通例であってみれば、あの時代を「前夜」と呼ぶのは如何だろうか。むろん、歴史物語の位相にあっては、まさしく「前夜」に位置づけられるせよ、やはり、そうおもう。

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February 18, 2007

稲垣立男サテライト研究室

 「BLOG_inainaba」を読んでいて、とても羨ましくなった。
http://d.hatena.ne.jp/inainaba/20070217/1171730201

 そこには「大学への愛」があった。
 決して「嫌味にはならない自慢」がきもちよく漂っていた。

 では、harieが勤務する「大学」で何か「自慢できること」はあるだろうか。
 そう自問して、やっと1つだけおもいついた。
 そこで、いろいろとお世話になっている、そして今年度で関東地区へと転出される予定の稲垣立男先生が学生諸氏と共にすすめているイベントを紹介しようとおもう。

 稲垣立男サテライト研究室
http://www.wakhok.ac.jp/archives/BankART1.jpg

 野村国際文化財団から助成をいただいている。
http://www.nomuraholdings.com/jp/bunka-zaidan/support/list/2006.html

 すでに「2月5日」から始まっているが、「17日から28日」までは「プロジェクト Private Room」と銘打った「稲垣ゼミ有志+α」による連続個展で、3月からは「卒業研究 発表展示」と「稲垣立男 制作と研究」と3月末まで続く。

 場所は横浜。
 みなとみらい線の「馬車道駅」下車。徒歩4分にある「BankART1929 Strdio NYK Studio4」。

 稲垣立男氏に関心をもたれた方は、以下もご参照ください。
http://www.wakhok.ac.jp/library/kiyou/kiyou6PDF/inagaki_all.pdf
http://www.wakhok.ac.jp/library/kiyou/kiyou4PDF/inagaki_all.pdf

 それにしても、masamiさん、masanoriさん、それにyasu……、みなさんお元気だろうか。
 

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February 16, 2007

『山陰中央新報』への雑感

 そもそもタイトルを「『山陰中央新報』への雑感」としてよいのかどうか、かなり不安ではある。

 友人のSUMITA氏のブログに「魁生姐さん@山陰中央新報」が掲載されている。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070215/1171538188

 そこから『山陰中央新報』のサイトへと向かったが、昼休みという時間帯のせいなのか「只今 リクエストが混み合っています」という表示がされるばかりで、なかなか辿り着けない。
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=345504035

 この『山陰中央新報』とうのは、「人気サイト」なのだろうか。

 こう書いてみて、この言明は「偏見」によるものだと断罪されるのか、それとも、地平的な了解として許容されるのだろうかと、ふと不安になった。
 いずれにせよ、 もしもSUMITA氏の指摘がこの混雑の主因となっているとしたら、かれの影響力は私が理解していたよりもはるかに甚大なものだということだろう。
 
 さて、そこのタイトルは「談論風発: 厚生労働相発言に思うこと 働く女性に深い脱力感」となっている。 掲載されているのは、 2/13の日付で私の友人でもある「魁生由美子氏」による「柳沢発言」へのコメントである。
 そこでの基本的な論点は、「人間を人間とは思わない」ことへの注意の喚起である。
 このようにいうと、それではあまりにも単純に過ぎる論点にみえるだろうし、「昔むかし」ならいざしらず、現代人がそうしたことを安易に為すとはおもえないと感じるかもしれない。
 だが、魁生氏が紙幅の制約のなかでも適切に切り取っているように、これは確かな、私たちの日常におもいのほか息づいている感受である。
 私には、その点での異論はない。
 ただし、「人間を人間として扱わないこと」自体は、少なくとも理論的な場面では成立しうるし、それは直ちに指弾されるべきことでもないこと、この点は明記しておきたいと感じた。
 「柳沢発言」およびそれ以降の動向では、「政治的な言説空間」では、何が-どのように-意味を増幅または縮減させるのか、そうした機制が私などの理解をはるかに超えて力動的に機能するのを、またもや目の当たりにした。
 それはそれで捉えられなければならない問題群ではある。
 だが、くり返しになって恐縮だが、それとは別に、例えば、複雑で現実的な社会的諸事象を一定の理論的な地平へと還元するといった理路は、それが場合によっては「人間を人間として扱わず」、つまり「人間」を何らかの「機能」としてのみ把握することがあったとしても、それを以って直ちに指弾されるべきものではないだろうこと、やはり、この点は強く明記する必要があるように感じる。 

 

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February 15, 2007

「孤独」への雑感

 「nift:news」で「日本の子供、最も孤独 先進国と比較(共同通信)」とあった。
 内容は次のとおり。

国連児童基金(ユニセフ)が「幸福度」に関する調査を実施し、その『報告書』が14日に発表された。それによると、各種指標を比較した先進25ヶ国において子供の意識に関する項目の中で「孤独を感じる」と答えた「日本の割合が29.8%」であった。2位のアイスランドが「10.3%」であり、それ以降の「フランスや英国などに比べ飛び抜けて高かった」。

http://newsflash.nifty.com/news/tt/tt__kyodo_20070215tt999.htm?ref=rss
[共同通信社:2007年02月15日 10時25分]

 こうした意識調査の場合は、どのような設問群・質問紙であるかが、その後の議論の大きな分岐点となるので、ニュースにあるような「結論だけのピックアップ」に言及するにはかなり注意しなけばならないだろう。
 だが、それとは別に、「孤独であること」と「孤独を感じること」とは決定的に異なる事態を意味している点には充分に留意しておくべきだとおもう。
 まず、一般的にいって、「私は孤独であると感じる」事態を分析するのであれば、当該文化では「孤独にどのような価値軸が与えられているのか」を論点として呈示するのでなければならないだろう。換言すれば、この価値軸によって、その意味するところは決定的に異なるからである。
 とはいえ、ここのところ大きな社会問題化している「いじめ現象」に端的に現れているように、「仲間というあり方」に異様という他はない「細心の注意」を払い合う「現在の子どもたち」であれば、「孤独を感じる」という数値が先進諸国で「飛び抜けて高い」結果が出るのもうなずける話ではある。
 相互的に「病的に配慮し合う」、云わば「関係の蟻地獄」において感じる「孤独」は、おそらくは「雑踏のなかの孤独」よりもはるかに乾いた印象を拭えない。

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February 13, 2007

「少子化対策」に思うこと

 友人SUMITA氏のブログ「Living, Loving, Thinking」に「少子化を巡って(メモ)」が掲載された。

 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070213/1171336683

 拝読し、触発された点があるので、少し書くことにする。

 SUMITA氏によれば、「大学授業料の原則無料化というのが最大の少子化対策といえるかも知れない」という。適切な結論だ。こうした論点は、一見すると「現実的ではない」ようにもみえるかもしれないが、じつは実現可能性という基準からも、もっともな見解だとおもう。
 要点は、「施策に関して何に力点を置くのか」、この1点にあるとおもう。
 ちなみに、博学なSUMITA氏ならばすでにご承知かもしれないが、以下の新書は、この点でも有用におもう。

 広井良典『持続可能な福祉社会』ちくま新書606 2006.

 そこでの議論はかなり大きな枠組みですすめられていることもあり、またかなり意図的とおもわれる図式化を施しているので、やや雑駁な印象がないわけではないが、社会保障の枠組みの転換を訴え、「若者基礎年金論」を提唱している。
 著者の経歴に関係なく「解き放たれた官僚による提言」という印象は拭えないが、それでも、やはり一考するに値する論点だとおもう。  

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February 12, 2007

殉職に思うこと

 「東武線ときわ台駅構内で線路内に入った女性を助けようとして急行電車にはねられ、大怪我を負った警視庁板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長」が亡くなられたという。
  
謹んでご冥福をお祈りする。

[共同通信社:2007年02月12日 16時40分]
http://newsflash.nifty.com/news/tk/tk__kyodo_20070212tk690.htm

 おそらくこの出来事は「美談」として私たちの心にかなりひろく、そして長く留められるのだとおもう。
 私は、その「事実」に異論があるわけではないし、以前、私が通勤に利用していた東上線でもあれば、どうしても「身近」に感じられ、その痛ましさは倍化される。
 だが、このニュースに接し、どうしても1990年代後半に起きた「航空自衛隊の訓練機墜落事故」と重ね、それらを比較する気持ちを抑えられないでいる。

 記憶だけで書くので、詳細は――日時も含めて、かなりいい加減かつ不透明なのだが、その事故は所沢近辺で起きた。
 この事故で高圧送電線が切断され、都内は大渋滞だった。
 当日は、私も自動車での移動で、この大渋滞に「巻き込まれ」、とても疲弊した記憶が鮮明にある。
 問題にしたいのは、かれら自衛官への私たちの態度だ。
 これも記憶に基づく、しかも私見の域をでるものではないが、その事故で死亡した「2名の自衛官」に対して、今回のような「情のある反響」はなかったのではないかとおもう。
 より端的にいえば、むしろそこにあったのは「冷淡さ」と「非難めいた心性」であったとおもう。例えば、訓練空域が住宅地の上空であることを指弾するマスコミ報道もずいぶんと散見された。
 むろん、その指摘も適切なものだし、それに異論はない。
 だが、かれら「2名の自衛官」は、おそらくは、事故機から避難することなく、いい換えれば、最期まで操縦桿を握り、市街地に墜落するのを食い止めるために懸命だったにちがいない。
 そして、実際に、被害は「最小限」であったとおもう。
 大渋滞という現象は、あくまでも「かれらの努力」の副産物に過ぎない。
 
 以上が、当時の「墜落事故ニュース」に接した、少しの想像力によって補記された私の記憶である。

 注意して欲しいが、私はnationalistではない。
 ただ、かれら「2名の自衛官」の志は不当に低く扱われていたと感じること、それを明記しておきたっかのだ。

 すでにお二人のお名前も定かではなく、あまりにも遅い表明ではあるが、「2名の自衛官」のご冥福をお祈りするとともに、再度、故宮本巡査部長のご冥福をお祈りしたい。 合掌

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試しに

携帯電話から投稿してみる。首尾よくできるかどうか。

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心機一転

 新たに「ブログ」を書いてみることにした。
 別段に固定的なテーマは決めていないが、基本は「私が日々に感じたこと」になるのだとおもっている。
 タイトルに「心機一転」とあるように、じつは、この「別館」は2004年に開設していたのだが、開けたと同時に「開店休業」の状態のまま放置していた。
 理由が特にあるわけではなく、ただ何となく、そうなっただけなのだ。
 では、何故、再度の開設なのかというと、それも「ただ何となく」ということになる。

 ゆるりと、誰かがみつけてくれて、コメントが届くのを楽しみに開始したい。

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