子ども時代
友人のSUMITA氏が「誰が懐かしがるのか」と題して映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に触れている。
かれ曰く、
最後の場面で、荒川の土手(?)から眺められた遠景の東京タワーが登場する。これは東京タワーの足下に暮らす東京の住民のランドマークとしての東京タワーではない。言ってしまえば、それは田舎者の視点から眺められた東京タワー、さらに言えば、抽象的な日本国民という視点から眺められた東京タワーである。この視点に同化して、この話を東京ローカルの話ではなく、日本国民の歴史物語(高度経済成長前夜とか何とか)として受容するときに、〈懐かしさ〉を感じることができるというわけだ。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070219/1171860573
適切な指摘だとおもう。
私も「最後の場面」の東京タワーの映像に「富士山的な手法」を感じ、せっかくの「懐かしさに水を注された」というか、より強烈に「冷水を浴びせられた」感じがあって、かなりムッとなった。
じつは、私はこの映画をほんとうに懐かしく観た。
子ども時代に、叔母たちと外出し、建設途上の「東京タワー」をかなり遠くから観たことをおもいだした。
その日の「おでかけ」の目的が何だったのかは、そのときも理解していなかったが、少なくとも「工事中のの東京タワー見物」でなかったことだけは確かだ。
目的ではなかったのだが、いきなり「それ」がみえたとき、大人はみな驚嘆していた。
だが、私はその大きな鉄骨群を「タワー」だとはまったく理解できなかった。
理解できたのは「それが工事中」ということと、「かなりでかい」ということぐらいだった。
大人たちの感慨・驚嘆とのギャップ、その異和は強烈だった。
私の記憶では、その「東京タワー」はぜんぜん赤くもなかったとおもう、たぶん――じつは、「色」という契機は、この映画ではじめて気づいたので、まったく定かではないのだが。
だから、その後、遠足でいったときの完成した東京タワーと、それ以前に叔母たちと観た「東京タワー」が同一だとはおもえなかったものだ。
高く、赤く、誇らしく。
まだ街頭には「傷病兵」がハモニカを吹いていたし、祖母はいつも何がしかの小銭を感謝を込めてかれらの前に置かれた箱に入れていた。倹約家であった祖母にしては、それはそれは珍しい行為だった。
さて、最後に、SUMIYA氏の指摘に基本的に異論はないのだが、それでも、「高度経済成長期」は1950年代中頃からとみるのが通例であってみれば、あの時代を「前夜」と呼ぶのは如何だろうか。むろん、歴史物語の位相にあっては、まさしく「前夜」に位置づけられるせよ、やはり、そうおもう。
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