『山陰中央新報』への雑感
そもそもタイトルを「『山陰中央新報』への雑感」としてよいのかどうか、かなり不安ではある。
友人のSUMITA氏のブログに「魁生姐さん@山陰中央新報」が掲載されている。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070215/1171538188
そこから『山陰中央新報』のサイトへと向かったが、昼休みという時間帯のせいなのか「只今 リクエストが混み合っています」という表示がされるばかりで、なかなか辿り着けない。
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=345504035
この『山陰中央新報』とうのは、「人気サイト」なのだろうか。
こう書いてみて、この言明は「偏見」によるものだと断罪されるのか、それとも、地平的な了解として許容されるのだろうかと、ふと不安になった。
いずれにせよ、 もしもSUMITA氏の指摘がこの混雑の主因となっているとしたら、かれの影響力は私が理解していたよりもはるかに甚大なものだということだろう。
さて、そこのタイトルは「談論風発: 厚生労働相発言に思うこと 働く女性に深い脱力感」となっている。 掲載されているのは、 2/13の日付で私の友人でもある「魁生由美子氏」による「柳沢発言」へのコメントである。
そこでの基本的な論点は、「人間を人間とは思わない」ことへの注意の喚起である。
このようにいうと、それではあまりにも単純に過ぎる論点にみえるだろうし、「昔むかし」ならいざしらず、現代人がそうしたことを安易に為すとはおもえないと感じるかもしれない。
だが、魁生氏が紙幅の制約のなかでも適切に切り取っているように、これは確かな、私たちの日常におもいのほか息づいている感受である。
私には、その点での異論はない。
ただし、「人間を人間として扱わないこと」自体は、少なくとも理論的な場面では成立しうるし、それは直ちに指弾されるべきことでもないこと、この点は明記しておきたいと感じた。
「柳沢発言」およびそれ以降の動向では、「政治的な言説空間」では、何が-どのように-意味を増幅または縮減させるのか、そうした機制が私などの理解をはるかに超えて力動的に機能するのを、またもや目の当たりにした。
それはそれで捉えられなければならない問題群ではある。
だが、くり返しになって恐縮だが、それとは別に、例えば、複雑で現実的な社会的諸事象を一定の理論的な地平へと還元するといった理路は、それが場合によっては「人間を人間として扱わず」、つまり「人間」を何らかの「機能」としてのみ把握することがあったとしても、それを以って直ちに指弾されるべきものではないだろうこと、やはり、この点は強く明記する必要があるように感じる。
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Comments
角田さんの誘導により、やってまいりました。
裏ハリエせんせのコーナー、開設をお祝い申し上げます。
いずれまたお目にかけるかもしれませんが、ご当地新聞の筆者近影が
「じゃりんこチエ」まるだしです。がーっと哄笑しておる感じです。
「産む機械」の折は、さすがにそれはということで、撮りなおしてくれたのですが、差し替えるのを忘れてごめんという丁寧なおわび電話が入り、そのままじゃりんこでGoとなった次第です。
いや、私はじゃりんこでいいんですが、このページのせんせのお写真、どないなったはるのか。。
Posted by: かいしょー | February 17, 2007 at 12:22 AM
コメントをありがとうございます。
写真は以前に学生が撮ってくれたものです。
「少しは弾けるぜ!」とかいって、かれらのギターを「奪って」はじめたのですが、撮影の直後にはもう「指が痛い」と泣きを入れていました。
こんな些細なところにも「自己像」の修正が必要なのですが、「未練」というよりは「他に手ごろなものがなかった」ということで、そのあたりは「お目こぼし」をお願いします。
Posted by: harie | February 17, 2007 at 10:27 AM