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March 29, 2007

風のがっこう稚内 プロジェクト

 私の本務校の同僚であり、またじつに多くの意味合いにおいて愛すべき友人でもあるsasakiさんが中心となって「風のがっこう稚内」の設立・運営に向けたプロジェクトが続けられている。
 20070201
 その経緯などは「風のがっこう稚内」および「『風のがっこう稚内』を応援するプロジェクト」に詳しい。
 この夏にセンターとなる施設を建設する予定で、しかも、それがログハウスだという。「風のがっこう稚内」のブログ記事(2月1日付)に次のようにある。

風のがっこう稚内の目的は「がっこう」の建物を作ることではなく、「何をするのか」というソフトを充実することです。しかし、拠点となるログハウスを建てたいと思っていたら丸太をタダで提供してくれる人が現れました。タダで土地を貸してくれる人も現れました。ベテランのログビルダーもみつかりました。これはもう「ログハウスを建てなさい」という天の啓示としか思えません。
 ということで、ログビルダーさんがイメージを膨らますために模型を作ってくれました。これでさらに夢が広がりました。http://d.hatena.ne.jp/kaze_no_gakkou/20070201

 おそらくはsasakiさんのお人柄によるのだろうが、このプロジェクトにはさしてファナティックな感触がないところがよい。決して謙遜でもなく、少しの自負心を脇に置いてみつめてみれば、私など所詮は些細なことしかできないのだが、それでもどこかで応援もしたくなる。
 じつは、かつての「反核」でもそうだったのだが、現在の「環境問題」には、どこかで、これ以上にはないといった準位の「目標」なり「危機」なりを設定しておいて、そこから謂わば演繹的に諸要請が繰り出されてくる、そんな仕掛けになっているように感じられてならない。それは、、おそらくは、そこで成立する心性にあっても、また理路としても、そうだといってよいだろう。
 だから、こういった論理構成であれば、その「内部」にあっては異論も反論も出しづらい。
 それはそうなのだ。「究極の危機」が設定されているのであれば、その「外部」は想定外、あるいはその存在自体がそもそも不能であり、それが現存するのであれば、それには、ある事態しか考えられない、ということになる。
 こうして、またもや「啓蒙」だけが有意義となる。
 むろん、環境問題への対応は、今でも遅すぎると、私もおもう。だが、「それとこれ」とは別問題だろう。
 そんな意味からも、どこか楽しげな「風のがっこう稚内」プロジェクトの充実を念じてやまない。
 

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