討議月間の様相
大谷氏より新たなコメントが届けられていた。こちらを参照していただきたい→。
今回の議論は、一応、ここで終結することになるだろうが、こうして振り返ってみると、じつに楽しかった。
大谷氏には重ねて謝意をお伝えしなければならない。
後々の整理のためにも、《討議月間》の様相を呈したかれとの議論経過を以下にまとめておきたい。
・「大谷栄一『近代日本の宗教運動の政治的機能に関する実証的研究』」がはじまり。
・この拙文に対する大谷氏からの「コメント」。
・それに応答したのが、拙文「「原理主義」というマジック・ワード」。
・この拙文に対する、かれからの「再度のコメント」。
・それに応答した拙文「世俗化と脱世俗化」。
・この拙文に呼応していただいたのが、「最新のコメント」というわけだ。
この討議には、そもそも別段に大きめな異論や反論あるいは相違点があったわけではない。その点でいうと、今回の討議はすぐれて《それぞれの論点と同時に、それを把握するための、それぞれの文脈の確認-再確認》という作業であったようにおもう。
そして、こうして振り返って改めて痛感するのは、ことば、あるいは文章というのは、何とも難しいものだというものだ。
むろん、そもそも何らかの《文脈が共有されている》のでなければ、そこで討議が成立することは難しい。だが、同時に、個々の論者は、それぞれに謂わば《固有の文脈》をそこににじませている。これは不可避の事態だろう。
だから、それらをそれぞれに確認あるいは再確認すること、これには、かなりの《信頼の地平》が形成されているのでなければならないだろう。
いい換えれば、そこでは討議以前に、討議によって獲得される可能性のある信頼が先行的に・地平的に形成されていることが要請されている。
まぁ、これは何も討議に限定される話ではない。相互行為全般にいい得ることだ。だから、《生きている》っておもしろいといえば、それまでだが、コストパフォーマンスからいって、やはりやや臆病であることも、そう悪くはない。
どこかで時間を確保して、ジンメルでも再読してみたい、と感じている。



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