世俗化と脱世俗化
大谷氏から、以前にもましてさらに長文の「コメントへのコメントへのコメント」をいただいていた。しかし、2週間にもわたる体調不良のために、それへの返答ができないままでいた。ご容赦いただきたい。
数日前から体調がやや上向きになってきたこともあり、かなり遅くなってしまったが、かれへの応答を書いておきたいとおもう。
まずは、拙文「「原理主義」というマジック・ワード」に対して、過分といってもよいほどの、じつに丁寧な応答をいただいたことに記して謝意を表明しておきたい。そのなかで、私が論点とした「世俗化と脱世俗化との同時進行」に関しては、基本的な賛同をいただけた。この点に関しては、やはり私にとっても、大谷氏との応答がなければ、このようなすっきりしたかたちで呈示できていたかどうか、かなりあやしいものだとおもっている。その意味でも、重ねて謝意を明らかにしておきたい。
さて、かれの指摘の最大の要点は、「国家神道」をどのようなものとして捉えるか、この1点にある。そこへのかれの提起は、「国家神道は公共宗教(あるいは市民宗教)であると考えることができる」というものだ。これもまた、やはり適切な指摘だと感じる。
このあたりの領域にはあまり明るくないので、あくまでも臆見の範囲内とお断りする他はないのだが、これまでの「国家神道」に関する論議はあまりにも「政治」との連動から捉えられ過ぎていたような印象がある。それを、日蓮主義への「政治的な」断罪と同じ認識空間といってもよいだろう。
だが、《政治によって収奪された文化や宗教》といった議論は、そもそもはじめに結論ありき、といってよく、今日的にいって適切な議論とはいいえないとおもう。これは「国体」をめぐってもまったく同様にいいうるだろう。
これをどのように位置づけるか、たしかに、これは大問題である。だが、日蓮主義運動が〈官製の市民宗教〉に寄り添いながらも、じつはその換骨奪胎を目指していたといい得るとすれば、ある種の重層化された対位法的な歴史記述の動態性を確保することは可能ではないかとおもえる。
せっかく長文のコメントをいただいておきながら、残念ながら、現時点でいいうることは、この程度のことでしかない。後は、ただただご海容いただく他はない。
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Comments
またまた、ご丁寧なレスポンスを頂戴し、心より感謝申し上げます。
張江さんの洞察には、いつもお教えいただくことが多く、今回のやり取りを通じても、自分の考えている(考えるべき)問題の所在が明確になりました。
あらためて、御礼申し上げます。
《政治によって収奪された文化や宗教》という固定化した議論は生産性がないこと、全く同感です。「政治と文化(宗教)」の問題系を再設定すること。このことを再度、心に留めたいと思います。
また、日本における世俗化過程の記述・分析についても固定化した認識枠組を今一度、検討する必要があり、「世俗化と脱世俗化との同時進行」という動態的な歴史プロセスとして捉え返すことの重要性も痛感しました。
つまり、政治的な宗教運動の分析に際しては、従来の研究史の認識枠組を相対化し、研究視点を再設定することで、「重層化された対位法的な歴史記述の動態性」の分析がなされ、さらには、それが近代日本宗教史のある種の書き換えにまで達することになるであろうと思われます。
到達すべき地点ははるか先で、実証的なレベルでそれが可能かどうか、心もとない限りではありますが、とにもかくにも問題意識だけは堅持しつつ、研究を進めたいと思います。
今後ともご教示ください。
ありがとうございました。
Posted by: otani | April 26, 2007 at 09:21 PM