« 「基礎研シンポ:差別の現象学」に関する追加情報―登壇者紹介③ | Main | 「シンポジウム:差別の現象学」が無事に終了 »

July 17, 2007

性的存在者

 ニフティ・ニュースにあったロイター通信による報道で、「ドイツ南部リンダウで、バスの運転手が1人の女性乗客に対し、格好が「セクシーすぎる」としてバスを降車するよう求めた」という。
 この女性の憤りはそれはそれで判る気がするが、これに対するバス会社のコメントは、僕にはより適切におもえる。
 

バス会社の広報担当者は「運転手にはそれが許可されており、彼は正しいことをした」とコメント。その上で「他の乗客の安全に危険となるので、運転手が気をそらすようなことはあってはならない」とし、運転手を擁護した。
http://newsflash.nifty.com/news/ta/ta__reuters_JAPAN-269051.htm

 こうした葛藤、軋轢、要は「もめごと」がきちんと生起することがたいせつなのだとおもう。

 さて、少し問題をはっきりとさせてみよう。
 第1に、どう考えても個々人は「性的な存在者」だ。
 この当たり前の事態を前提とするならば、社会機構において、それを「あたかもないものとして」過ごす想定のほうが不当だという結論にしかならないだろう。
 むろん、だからといって、「性的側面」に焦点を当てる、あるいは、そうしがちであることが、すでにつねに許容されるといいたいわけではない。むろん、その結果はすでにつねに状況依存的だろうし、これは何も「性的側面」に限られたものでもないだろう。要は「もめごと」というプロセスが存在すること、このことの重要性である。
 つまり、「もめごと」とは、そこで生起した事態を社会的に如何なるものとして構成するのか、その過程そのものなのだ。換言すれば、この過程を確保する意味は大きい。つまり、「もめごと」は本来的には不可避なもとして社会機構に埋め込まれているもののだろう。
 ふと想いだしたのだが、僕が高校生の頃、学内では「制服廃止」が議論されていた。とりたてた「運動」ということもなく、何故か1970年の高校2年生のときに、「制服」は廃止されて「標準服」と呼称が変わった。回りの高校のあちらこちらでは試験期間ともなれば「バリ封」があったと噂話で聞いていたから、おそらくは、それが主因だったのではないかとおもっている。
 さて、何故この話題をだしたのかというと、私服登校が可能となってしばらくしたある日に、生活指導の中年の教師が何となくといった感じで、あることばをつぶやいていたのを書きたかったからだ。
 「あんなミニスカートが教室にいられたら、授業にならないよ……」。
 いったい何故、このことばを耳にしたのか、その具体的な状況はいっさい忘れてしまった。だが、僕が「そこ」にいることを、少なくともそのときまで、かれは知らなかったこと、これは確かだとおもう。
 というのも、僕はおもわず「うーん!」と小さくうなってしまい、かれはその小さな声に心底、ほんとうに驚き、少しの恐怖をその目に宿していたのだからだ。
 「この正直者」といって笑うほどの技量もなく、さりとて、「教師なのに何て事をおもっているのだ!!!」と詰問するほどに教師を「聖職視」してもいなかった。
 でも、それが本音だという直感は生じていて、そこにあったリアリティは忘れていない。
 むろん、かれのつぶやきが「真実」であったにせよ、かれはマスメディアにくり返し登場してしまう「エロ教師」ではなかった。これはかれの名誉のためにも書き添えておきたい。
 問題は、そこに垣間見えたリアリティをどのようなものとして捉えるかにあるだろう。
 はじめに断っておくが、僕は別段に、いわゆる「エロ教師」に同情などしていない。
 だが、彼らが「性的存在という側面を隠蔽し続けてきた社会機構」と相関的な関係にあることも否定できないと考えている。とはいえ、現行の日本の教育システム、とくに初等教育において、教師も児童も共に「性的存在者である」という了解は、あたかも「ない」ものとして成立しているとおもえるからといって、それが「エロ教師」の罪を軽減させるといいたいのではない。そんなことはありえまい。
 だが、現行のマスメディアの論調は「ここにも、まだいたエロ教師!!」という指弾以外のものではないだろう。
 たしかに被害に遭ってしまった児童たちのことを考えれば、徹底的な社会的制裁は当然である。むろん、それへの批判などはない。
 だが、いつまで「エロ教師狩」を続けても、「ジェノサイド」には至らない。
 なぜならば、この「聖戦」の正当性の理念そのものが、まさに「エロ教師」を再生産しているのだから。
 もう少し事態を穏やかにみるだけでもよいだろう。
 教員採用時に、その人物の「性癖」は問われない。だから、確率論的には「エロ教師の予備軍」がそこに混じっている可能性は否定できない。
 これは自明ではないだろうか。
 そうであれば、人権を無視して採用時に「性癖チェック」をしないのであれば、こうした「予備軍」も含めて、換言すれば、だれもが「性的な存在者」であることを前提にしたシステムへと移行すること、くわえて、「もめごと」を軽減化させることへの愛好を諦め、その適切な使用を心がけること、これで、少なくとも被害者である児童たちの「心の傷」は最小に留められるのではないかとおもえる。

|

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/65808/15788615

Listed below are links to weblogs that reference 性的存在者:

Comments

Post a comment