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July 02, 2007

ご冥福をお祈りする

 学務で忙しかった。それに加え、友人のご尊父が他界され、その連絡なども重なり、心に占める「余裕のようなもの」が消えてしまった。
 その葬儀には参列できなかったが、心よりご冥福をお祈りしたい。
 少し年下の友人であるだけに、じつは、かけるべきことばも上手く定まらないでいる。月並みで陳腐な処世的な言辞なのかもしれないが、「これは順番なのだ、避けられないことなのだ」、とでもいう他はないように感じている。
 私自身、「孝行息子」とは程遠い人生の歩み方をしてきてしまった。
 別段、そのように意図したわけではないし、さりとて、それに深い後悔もない。だが、友人の心像・リアリティがわが身を照射せずにはおかない。《弔いは反省なのだ》とおもったりもするが、この感慨とても、これからの人生にあって、これまでの行動指針を変更させるとは、どうもおもえない。
 何とも厄介だ。
 私の父は比較的若くして他界した。気の小さな大酒のみだったが、かれへのささやかなリスペクトは今も忘れない。
 とりあえず、久しぶりに母に会い、いつもの小言と愚痴と説教とを、うんざりするぐらい聞きたくなった。
 遠方に居住すると、そんなことすらも、「計画を立て、チケットを予約し、……」などなど、この情緒とは無縁な作業を経なければ実現しない。
 それを、事も無げに遂行する私自身も含め、このシステム、あるいはよりひろく現代社会の約束事は何とも不思議な気がする。
 たしかに、場面に応じた《態度変更》を適切に行なうこと、これは現代人の必須条件だろう。むろん、それに対してノスタルジックな批判を浴びせるつもりはない。それはそうなのだが、情緒を《個人内在的なもの》、つまりはプライヴァシーの領域とすることで成立する《態度変更を制度化したシステム》は、やはり無理がありすぎるのではないか。さりとて、代替案があるわけではない。だが、それでも、このシステムは「心を痛めつけるなぁ」と感じずにはいられない。
 だが、ここから先は《ロマンティックな夢想》の領域だ。私は、そこへは赴かない。

 いずれにせよ、故人のご冥福を心よりお祈りする。
 

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