直面をするということ
《すでに十全に推測できている事態であれば、それへの対処は相応に可能である》。これがリスク管理の基底にある了解事項だとおもうし、それは妥当なものだと考えてきた。
しかし、やはり「ある事態に直面すること」と、既知として想定していた事態、つまりは理論的な構成態とには想像以上に大きな開きがあるようだ。おそらくこの差異の主因は、そこで生きる人びとが為すさまざまな応答が十全に想定できていないということにあるのだとおもう。
現在、私が直面している事態は、数年前より想定できていたものだ。だから、それは私にとっては既知であったはずなのだが、じつは想定よりも悪いものであった。
むろん、合理的な選択をしない/できない人間の存在を知らなかったわけではない。だが、今回の事態を引き起こした「人物」は、そうした了解範囲を超えている。
その意味でいえば、「合理的な選択」という考え方には、暗黙裡に「品位」といったものが地平的に機能しているという、この当たり前の了解に、今さらながら妙に感心している。
しかも、「馬鹿に付ける薬はない」とつぶやき、そことの距離をとることも許されていない。
いったい、どこまですすめることができのだろうか。
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