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October 31, 2007

シンポジウム「Humanities(人文学)と基礎学の危機」

 sumitaさんから基礎研経由でシンポジウム情報が寄せられたので、ご紹介する。
 わざわざ「後援なし」と明記するあたりが、規模の大きさを物語っているようで、脱帽です。
 
http://philosophy-japan.org/ja/375/


シンポジウム「Humanities(人文学)と基礎学の危機」の開催について


 来る12月8日(土)に日本学術会議哲学委員会と日本哲学系諸学会連合の共催で、「Humanities(人文学)と基礎学の危機」をテーマにシンポジウムが専修大学を会場に開催されます。

シンポジウム「Humanities(人文学)と基礎学の危機」の開催について 

1.主 催 日本学術会議 哲学委員会 日本哲学系諸学会連合

2.後 援 なし

3.日 時  平成19年 12月8日(土) 15:00~18:00

4.場 所  専修大学神田校舎1号館15番教室(千代田区神田神保町3-8-1)

5.次 第

[開催趣旨]わが国のこの間の学術政策は、技術革新に直接に寄与するビッグ・サイエンスの偏重に大きく傾いてきたのみならず、人文・社会系の分野までをも理工系のビッグ・サイエンスをモデルとして扱いつつ、人文系・理系を問わず基礎学を軽視してきた。このことは長い目で見たときには、学問全体の根幹を空洞化することにもつながりうる。 こうした中で、思想系の研究に携わってきた研究者は、技術革新が声高に叫ばれる今日における思想系の研究の意義と存在理由を、共同で改めて確認するとともに、右のような動向に対峙し、そこにはらまれている危険性について警告を発することが求められていよう。本シンポジウムは、こうした課題の遂行にむけて共同して第一歩を歩み出すことを目的として企画された。


開会あいさつ:野家啓一(東北大学副学長、日本学術会議哲学委員会委員長)

Ⅰ 講 演( 15:10 ~ 16:25 )

1) 鷲田清一(大阪大学総長、日本倫理学会会長、日本学術会議連携会員)
2) 神崎 繁(専修大学文学部教授、日本学術会議連携会員) 
3)森由利亜(早稲田大学教授) 4) 鈴木博之(東京大学工学研究科教授)

Ⅱ 討論など( 16:35 ~ 17:55 ) 

司会:大庭 健(専修大学文学部教授、日本学術会議連携会員) 

コメンテイター:金井淑子(横浜国立大学教授、日本学術会議連携会員)
         斉藤 明(東京大学教授、日本学術会議連携会員)

閉会あいさつ:丸井 浩(東京大学教授、日本学術会議会員)


[参加申込方法]事前申し込みは必要ありません。当日は会場に直接お越しください。

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October 28, 2007

気合を痛感する

 inainabaさんのブログで、昨日に掲載した「著書にとっての「帯」」が触れられていた。
 かれに、時にはご覧いただいけているだろうことは承知していたが、ここのところの愚痴の多さをおもうと、少々赤面する。

http://d.hatena.ne.jp/inainaba/

 かれのブログにお邪魔するのも、ほんとうに久しぶりだ。
 というか、そもそも最近は誰かのところに「お邪魔する」こと自体が極端に減少している。
 やはり、「余裕」は大事だ。

 さて、inainabaさん曰く

私のほうは「誇大広告」いーんぢゃねえの路線を威風堂々歩み始めていた。

 正直にいって、別段、自らの「小心」をさほど悪いことともおもっていなかったのだが、それでも、このスタンスは「凄い」と感じ入る。
 「余裕」も大事だが、やはり「気合」も大事だ。
 いや、むしろ、市場原理に関わるかぎり、「気合」は充分にそこでの〈重要な構成要素〉であるはずだ。
 この点を蔑ろにしてきたと痛感する。
 学問が謂わば〈共同体的な心性〉と親和的であるのに対して、著書はむろん、市場に置かれるものだ。この対比関係は、やはり、きちんと対象化しておかなければならないものだろうし、むしろそれは前提的な事項であるはずだ。
 この点で、またもや「まだまだ青いなぁ」という感触にいたった。

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October 27, 2007

著書にとっての「帯」

 すでに何度かご案内しているが、大谷栄一氏と私とで編者を務める『ソシオロジカル・スタディーズ』(世界思想社)がいよいよ出版に向け「秒読み段階」に入った。
 そうしたなか、編集作業を一手に担ってくださっている峰松氏より、本書に帯が付く旨の連絡をいただいた。
 やはり、自著に帯が付くのは嬉しいものだ。
 何といっても、出版社の「熱」を感じる。20071002
 今までにもっとも凄いと感じたのは、『現象学的社会学は何を問うのか』(勁草書房 1998)だとおもう。
 そこには、「自己・他者・関係・制度、あるいは宗教・逸脱・犯罪などの基礎概念を、エスノメソドロジーや社会調査の問題性も含めて鋭く問い直す、最前線の現象学的社会学!」とある。
 当時も今も、これを「誇大広告」だとおもった訳ではないが、それでもやはり「最前線」には気がひける。
 いや、たんにそれだけではなく、むしろ何か「言い訳」でも語りだしたくなる。
 それに比して、今回はとても穏やかだ。
 『ソシオロジカル・スタディーズ』に掛けられる帯にある大きなコピーは「私と社会をつなぐ社会学入門」というものだし、それには「日本社会における近代から現代への変化のダイナミズムを、行為者の意味づけに焦点を当てて描きだし、現代の社会関係の形成と変容を提示する」という文章が付される予定だという。
 とはいえ、私の基本理解では、そもそも社会学は「私と社会」とをつなぐのではなく、むしろ〈私〉に現出する社会的世界を形相的=類型的に問題とし、さらに、この社会的世界が相互主観的な理念化過程によって物象化される機制を解きほぐすための学理でなければならない。
 この自説をいずれ積極的に展開しなければならないと痛感するが、それはまだ少し先のことだとおもう。
 今は、まず『ソシオロジカル・スタディーズ』を完成させよう。
 この数ヶ月の「激動期」に何とか「平常」を保てたのも、この作品に関わる諸作業があったお陰なのだから。
 
 
 
 
 

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October 22, 2007

「シンポジウム:地域と教育」が終了

 昨日の午後に開催された「シンポジウム:地域と教育」が無事に終了した。
 参加者は総数で80名を超えたとはいえ、まだまだ満足のいく数字ではない。
 だが、第1回目の試みでもあるので、ここはよしとしよう。
 平間先生(稚内中学校長)と前佛先生(稚内養護学校長)のお話は、ともに第1線の現場で地域連携を具体的に試行されてこられただけあって、説得力が抜群にあった。
 手島教育長はほんとうにご多忙ななかでのご登壇であったが、やや朴訥な語り口のなかにも「地域教育の責任者」としての重みが感じられたし、今村氏のご発言にあった「地域のステータス」という指標は、じつに直感力に優れたものだったと感じる。
 私の報告は、時間的な制約からいって最初からかなり詰め込みすぎではあったのだが、やはり中途半端に終わってしまった。
 自分自身としては、前近代における「生活に埋め込まれた教育」から、近代における「脱-埋め込み志向」と反近代的な位相を内包する「再-埋め込み志向」という3契機の整理は、なかなかきれいで判明的だと感じていたのだが、それもどこまで聴衆に届けられたのか心もとない。
 やはり、かなり反省をしなければならないだろう。
 だが、いずれにせよ、大学が「地域のシンクタンク」としての役割を積極的に担わなければならないこと、この点は言説においても、同時に、実際の実践準位においてもかなり明確にされたとおもう。
 この点だけでも、一応の成功と考えてよいだろう。
 それに、当日はどの方なのかまったく気づかなかったのだが、稚内市議の「よこざわ輝樹氏」もご自身のブログで、今回のシンポジウムに好意的に触れておられる⇒こちら
 無所属の市議である程度しか存じあげないのだが、深く感謝したい。
 これからも「地域のシンクタンク」として大学が発展できるように、少しでも寄与していきたいとおもう。
 とはいえ、ほんとうに疲れた。
 こういうときには、それなりの休息が必要なのだが……。
 同じことは、開催準備をし、多面的に支えてくれたスタッフにも等価にいえることなのだ。
 どこかで「慰労会」でも開けるとよいのだが……。
 そんなことを考えていたら、「味噌煮込みうどん」が食べたくなった。
 この連想はかなり奇異におもえるだろうが、これについては、また日を改めて書いてみたいとおもう。

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October 21, 2007

「シンポジウム:地域と教育」のレジュメ

 本日、稚内北星学園大学で開催されるシンポジウム「地域と教育」でご報告するレジュメを掲載する。
 時間的に、かなり無理があるので、おそらくは、前半を簡略化して、後半を中心にすることになるだろう。


学校教育と地域社会との連携はどのようにして可能なのか
――知識の社会的な分配という視点から考える――

                        張江洋直(稚内北星学園大学)

1.学校はどのようなものとして捉えられてきたのか
1-1. 前近代における「教育」――地域(共同体)や生活に〈埋め込まれた教育〉
●かつて「教育」とは、「生きる知恵」を家庭や地域が自ら築きあげてきたものだった。
例示:寺子屋・郷塾・私塾、あるいは農本的な村落の伝承など。
●「読み・書き・そろばん」(実学)+「職場内教育(on the job training)」
 (識字による階層分化がすでに成立している)

1-2. 近代化の開始――近代教育制度の創設
○1872年(明治5年)に太政官布告として「学制」が発布される。
  [下等小学校4年間+高等小学校4年間]+[中学校6年間]+[大学]
○国民国家形成と学校による「教育の独占」……近代化という必然性
  ⇒「均質な国民」を形成する社会的装置としての学校
●地域や生活に〈埋め込まれた教育〉からの離脱と軋轢 ⇒ 小学校建設と一揆 

1-3.近代化の普及――「近代文化」の伝道(啓蒙)装置としての学校
●「師範学生の運動会」=遠足(行軍)+「運動会(源平合戦)」に集まる民衆(物見遊山)
              行軍と「なんば歩き」]⇒身体の社会的な構成
●学校は〈脱-埋め込み志向〉という「普遍的な知識=科学」を教授する場である。
  ⇒科学技術知識による選別機能としての学校
○村落(共同体)の祝祭空間としての「運動会」……万国旗+「飲酒」+「弁当(重箱)」
 (文部省による再三の警告にも拘わらず)⇒「小学校」の土着化・制度化

1-4.大衆化された近代――戦後民主主義教育と進学率の上昇(高度経済成長期)
●戦後期の「問題解決学習」という〈再-埋め込み志向〉……ジョン・デューイ
                          (戦前、例えば牧口常三郎)
●1974年に高校の進学率が90%に達する……大学進学の激化=「人なみ化(平準化)」
●「生業の世界」から「職業中心の世界」への転換……階層分化装置としての進学
○高度経済成長期(1950年代半ば~1973年の第1次オイル・ショック)に「村落(共同体)」が解体する⇒「見えなくなる地域」 ⇒逆に、「地方の可能性」がみえるのではないか

2.教育と地域社会との連携はどのようにして可能なのか
2-1.教育にとっての近代化の「完成」=平等――「大衆教育社会」の誕生
○「大衆の教育への動員、メリトクラシーの大衆化、形式的平等の追及、明確な文化的アイデンティティをもたない学歴エリートの創出、そして、教育における〈不平等〉を不問に付す平等信仰」(『大衆教育社会のゆくえ』苅谷剛彦 中公新書 1995.)
○メリトクラシー(meritocracy)=「メリット(業績)による政体」……属性から業績へ
                                  近代化の指標
○1980年代の「1億総中流意識」にみられる「平等」の達成

2-2.消費社会において、学校と地域社会との関係を考える
○子どもが〈消費主体〉となる
○1970年代中期以降、日本社会は高度消費社会といえる。
            ⇒ 消費されるためには、モノは記号にならなければならない。
○子どもたちにとって地域社会はマス・メディアへと「解消されている」
                (サブ・カルチャーの台頭)
●1980年代の「校内暴力」⇒教育(共同体的なもの)と〈消費主体〉との軋轢・葛藤
●学校化の完成⇒「吉本芸能学院(NSC)」の開校(1982年)
(自己実現の物語)

2-3.近代化の果てに顕れた〈環境問題〉は教育にどのように作用するか
○地球規模の環境問題は、すでに国境を超えている
            (国民国家から地球規模の思考への転換の要請)
●〈脱-埋め込み志向〉から〈再-埋め込み志向〉への転換の可能性
             地方(locality)の見直し(再評価)

2-4.子どもたちはどのようにして「地域社会」へと「戻る」のか
●1989年、小学校での「生活科」の導入⇒ 「画一化された教育」からの「脱却」の開始
●「画一化された教育」の出口としての「地域社会」
 ⇒「ゆとり教育」+「週5日制」+「新たな学力観」 ⇔ 「学力低下」問題

○まとめ
・「地域や生活に埋め込まれた教育」から「脱-埋め込み志向」
・「脱-埋め込み志向」から「再-埋め込み志向」への転換の可能性
⇒新たな知識・教育観が求められている

補記
●「subject」とは「主体」であると同時に、「下僕・従属者」でもあるというメカニズム

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October 20, 2007

これから頑張る!

 学務に追われて、まだ明日のシンポ「地域と教育」の配布資料が完成していない。
 昨日に終える予定だったのだが、昨日の午前中はフライヤーの戸別配布でかなり消耗してしまい、また、午後の会場設営で、さして役にはたっていないのだが、それでも、疲れは倍化された感じだったのだ。
 そんななかで、少し「胸が熱くなる」出来事に遭遇した。
 フライヤーの戸別配布時に、犬の散歩をされていた年配のご婦人がこちらをやや訝しげに眺めていらっしゃったので、「大学です」と付言してフライヤーを手渡ししたところ、次の言葉が返ってきた。

 「北星には、甥っ子が通って、卒業した。あんた、頑張るんだよ!」

 この地では、「大学」といえば「稚内北星学園大学」を意味している。
 そんな土地柄でのことではあるが、私にとっては想定外の言葉だった。
 かのじょには、いったい私が何歳にみえたのだろう、というささいな疑問も残らないではないが、とてもありがたい温かな言葉だと感じる。
 こうして「勘違い」のサイクルに入っていくのかもしれないのだが、やはり嬉しい。
 ありがとう。
 これから、少し頑張る。

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October 17, 2007

ミニ講演

 本日、北海道枝幸高校の1年生、約60名が「社会科見学」の一環として来校した。
 こちらに向かう途中で発生した交通事故の関係で来校時刻が予定よりやや遅れたが、無事に到着する。
 ガヤガヤしながら入ってくる高校生を眺めながら、全体として素直で可愛い印象を抱く。
 特に、やはり女子は華やいでいる。
 事前に伺っていたのは、「大学とは何か」というテーマで50分程度の講演というものだったが、開始直前に、「大学はこんなにも楽しいところ!」へとテーマ変更の要請がくる。
 「大学」つながりではあるが、ずいぶんとテイストが異なる。
 しかも、到着が遅れた関係で、講演時間も「35分程度」に短縮となる。
 まさに「ミニ講演」である。
 そんなわけで、少しの不安を抱えての登壇となったが、第1印象のとおりで、とても素直で明るい生徒たちだったので、それなりの笑いも確保できたし、チューニングはまずまずだった。
 かれらのお陰で、一定水準でミニ講演を終了できたとおもう。
 可愛い「生徒諸君」に感謝。
 

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October 16, 2007

まだまだプチ出張

 昨日はプチ出張で、遠別町・天塩町・幌延町・豊富町に赴いた。
 6月にご当地の高校を訪れたときの印象に比べて、近いのにやや驚いた。
 とはいえ、往復で200kmは超えている。
 天塩のしじみを楽しみに出かけたのだが、残念ながら、すでに終了していた。
 5月~9月までの短い期間だけしか「生しじみ」には出会えないことが判明し、納得しつつも、ショックはやはり大きい。あの蜆汁は、ほんとうに最高なのだ。旨い。
 ちなみに、幌延町の教育委員会では、「新たな仕事」の可能性をいただいた。
 「仕事は足で稼げ!」というのの典型的な事態だと感じる。
 意気揚々と帰還したのだが、やはり疲れた。
 夕方から会議も入っていたために、疲弊感は倍化される。
 帰宅後は、最終校正に手をつけたのだが、持続できず、結局は就寝せざるを得なかった。
 申し訳ない。
 今日は、これから「値引き交渉」と「シンポの打ち合わせ」、午後には「就職講座」「教授会」とスケジュールはギッシリだ。
 少し楽になりたいなぁ。

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October 14, 2007

牛乳は「生もの」だ!

 さるふつ牛乳の旨さについては、すでに触れた。
 飲んでみて、今回も確かに旨いのだが、6月にいただいた時に比べると、どうしても味が落ちると感じる。
 これは、私だけの感想ではない。
 何故だろうと、考えてみて、すぐに「或る当たり前の事態」に行き着いた。
 それが、「牛乳は生ものだ」という答えである。
 これは、生ものだから、例えば腐りやすい、つまり、品質管理が行き届かなければ旨さがすぐに落ちる、といった事態だけを指しているのではない。
 それよりも、もっと原初的な、そしてもっと当たり前の事態を意味している。
 要は、牛は生きている、ということなのだ。
 季節が変わり、おそらくは餌も変われば、牛の体調も変化する。
 この当たり前のことをみずに、「牛乳」という「製品」を吟味してしまう。
 フッサール流にいえば、ここにも「理念の衣」という覆いが被せられていた、というところだ。
 きちんと事象と向き合うのは、なかなか難しいものだ。

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October 13, 2007

プチ出張

 昨日、10月21日のシンポジウム「地域と教育」の宣伝などのためにオホーツク海系の近隣を訪問した。
 まずは、猿払村、次いで浜頓別町、中頓別町、枝幸町と、それぞれの教育委員会をお訪ねした。
 中頓別町と枝幸町では教育長にお会いできたが、急なこともあり、それ以外は、教育次長と学校係長への訪問となった。
 それぞれに、温かな応答をいただいた。
 記して謝意を表したい。
 それにしても、やはり遠い。
 訪問先はどこも近隣ではあるはずなのだが、往復で「297km」になった。
 運転は事務の方にお願いできたのだが、それでも疲れた。
 帰路ではすでに、かなりの疲弊状態になっていた。
 運転をされた山岸さんは、その倍も疲れたのだとおもう。ありがとう、そしてご苦労様。
 少し予想外の疲れではあったが、やはり事前にというか、往路でトイレ・タイムを兼ねて「さるふつ牛乳」を購入しておいたのは、大正解だった。
 以前にも書いたが、この牛乳は旨い。
 「トロウマ~」のキャッチ・コピーは伊達ではない。
 宗谷地域に居住する者として、かなりの自信をもってお勧めする。
 ただし、すでに、こう呼ぶべきだとおもうのだが、「冬季」になると「200cc」サイズのものしかなくなるのは如何なものだろうか。
 小瓶だと、どうしても「割高感」が付随してしまう。
 これは、観点が逆だとおもうのだが。
 今日と明日は「オープン・キャンパス」、来週の月曜日には、日本海系の近隣への訪問が待っている。
 疲れを残さないように、気をつけることにしよう。

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October 11, 2007

シンポジウム:地域と教育

 私の本務校である稚内北星学園大学主催によるシンポジウムが開催される。
 10月20日・21日とある学園祭の「とり」に相応しい企画であるかどうかは別にしても、地方で生きざるを得ない私たちにとっては、とても重要度の高いテーマである。
 「地域と教育」というかなり大きなテーマ設定ではあるが、まずは「はじめの一歩」というところだろう。
 これからは、他の多くの大学がそうであるように、本学もさらに地域と連携し、地域に必要とされる大学へと自己変革を遂げていかなければならない。
 その意味でも、タイムリーな企画だとおもう。
 今回は、さまざまな問題点を確認するという作業になるとおもうが、こうした企画をたんに単発の「点」で終わらせることなく、より長く、そして広く浸透していける起点としなければならないだろう。
 以下に、その案内を載せたい。
 ご覧いただくとすぐに判るが、私も少し話をさせていただくことになっている。
 何時もとは少し勝手がちがう陣容なので、どこまで上手くお話できるか心もとないが、やはり楽しく努めさせていただきたいとおもっている。

市民カレッジ2007

シンポジウム   地域と教育

2007年10月21日(日)
14:00~16:00
稚内北星学園大学 新館1401教室


司会
佐々木政憲(稚内北星学園大学教員 地域共同生涯学習センター長)

パネリスト(以下 敬称略 五十音順)
今村光壹(稚内商工会議所地域振興委員長)
手島孝通(稚内市教育委員会教育長)
張江洋直(稚内北星学園大学教員)
平間信雄(稚内中学校 校長)
前佛 誠 (北海道稚内養護学校 校長)

コメンテーター
池田裕子(稚内北星学園大学教員)
高橋哲男(稚内北星学園大学教員)
古川 碧 (稚内北星学園大学教員) 

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October 07, 2007

パソコンが「半壊」!

 朝から研究室に来たのだが、マシンが変だ。
 OSは立ち上がるのだが、そこからはどうにも動かない。
 「もう古いのだから、これも仕方がないことだ」とでも言えれば、この事態には最適なのだろうが、そう言いうるためには、それなりに余裕がなければならない。
 嗚呼、ささやかでもいいから、少しの「特権」が欲しいなぁ。
 こんなことを考えていたら、ある疑念に直面してしまった。

 どうやら、私は、かなり「余裕のない人生」を歩んでいるのではないか。

 あちらにも、こちらにも、かなり不義理をしてしまっている。
 申し訳ないという気持だけはあるのだが、事態はどうにも、改善の予兆すらみえないのが実情だ。
 
 今回のマシンの不調も、お休みだというのに、鏡山樹さんが救援に駆け付けてくれて、とりあえずノートパソコンを設定してくれたので、決定的な難は回避できたにすぎない。
 子ども連れで登場してくれた鏡山さんには、深く感謝している。

 そんなわけで、じつはブログを書いている場合ではないのだ。
 何しろ、やるべきことは山積み状態なのだから。
 
 でも、もうしばらくは授業準備に励むことにしよう。
 
  

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October 06, 2007

本末転倒

 授業準備が完全な自転車操業状態だ。
 これは、むろんまちがっている。
 学務の忙しさが原因なのだが、これでは本末転倒だ。
 だから、ここは1つ、この悪循環を断ち切るために、きちんとリセットしなければならないだろう。

 ということで、連休は授業準備に集中しよう。
 少なくとも、連休の2日間は必ず雑務を脇に置く。

 以上、決意表明でした。

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October 02, 2007

『残響の中国哲学』

 昨夜に帰宅すると、友人の中島隆博氏より新著『残響の中国哲学――言語と政治』(東大出版 2007)が届けられていた。20071001
 今年に入って2冊目の単著だ。凄い。
 この新著は比較的以前に書かれたものから成っているが、かれのことだから徹底して〈現在〉から再構成した、謂わば「書き下ろし」なのだろうと推察し、悪い癖ではあるのだが、はじめに「あとがき」から拝見した。
 そこには、「どの論文にも、大幅な筆削を加えている。……そのため、多くの部分は書き下ろしたものになった。それは、あらためての発見に満ちた、喜びの作業であった」(261)とある。
 しかも、「三部作」の予告も記されている――「言語と政治」「他者と倫理」「歴史と美学」。
 この新作は、それらの第1作に当たる。
 現在、多忙を極めていることもあり、未読のままではあるが、以下に目次を記しておく。
 いずれにせよ、記して謝意を表しておきたい。

『残響の中国哲学』

目次

はじめに

序 文字の誕生――夜哭く鬼

Ⅰ 言語と支配
第1章 正しい言語の暴力――『荀子』
第2章 どうすれば言語を抹消できるのか――言尽意/言不尽意論
第3章 オラリテの次元――『荘子』
第4章 言語の政治的支配は可能か――儒家・墨家・道家・法家

Ⅱ 起源と伝達
第5章 文字言語としての隠喩――劉勰『文心雕龍』
第6章 他者への透明な伝達――朱子学
第7章 古文、白話そして歴史――胡適

Ⅲ 他者の声
第8章 公共空間と語ること――ハンナ・アーレント
第9章 誰が他者なのか――アマニュエル・レヴィナス
第10章 速朽と老い――魯迅

 

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October 01, 2007

『ソシオロジカル・スタディーズ』

 大谷栄一氏と私とで編集を担当したテキスト『ソシオロジカル・スタディーズ』(世界思想社 近刊)のプチ宣伝でも、どこかでしようとおもっていたら、すでに大谷氏がご自身のブログで紹介されていた。詳しくは、こちらをご覧いただきたい
 彼は、これに限らず、いつも手はずがよいと感心する。
 大谷氏によれば、「自信を持ってお薦めできるテキストに仕上がりましたので、ぜひ、お手に取っていただければと思います」とのこと。
 この文面もじつに上手い。
 自画自賛で恐縮だが、たしかに自身をもってお薦めできるテキストに仕上がったとおもっている。
 そういえば、かつて、やはり自信をもって編集した『ソシオロジカル・クエスト』(張江洋直・佐野正彦・井出裕久編 白菁社 1997)も出版から10年以上も経ってしまった。
 まったくもって、「少年老い易く」であり、「光陰矢の如し」だし、「学成り難し」だな。
 かなりいい加減な記憶だが、若き日々に読み、その迫力に妙に感銘を受けた詩に、たしか「男子志を持って郷関を出ず 学若し成らずんば死すとも還らず」というのがあったようにおもう。
 少しちがうのかもしれないが、たしかこんな感じだったとおもう。
 いずれにせよ、自身の現況を省みると、やはり少し気が引ける。
 「歳だけとって、どうもスイマセン!」

 あっ、そういえば、どうやら三平師匠のギャグはもうギャグではなくなってしまったようだ。
 真顔で「スイマセン」という学生は後を絶たない。
 まぁ、しょうがないのかな、「虎と狸の皮算用」とか「田中のボタ餅」とか、徹底した意味抜きが進行しているわけだし。

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