『残響の中国哲学』
昨夜に帰宅すると、友人の中島隆博氏より新著『残響の中国哲学――言語と政治』(東大出版 2007)が届けられていた。
今年に入って2冊目の単著だ。凄い。
この新著は比較的以前に書かれたものから成っているが、かれのことだから徹底して〈現在〉から再構成した、謂わば「書き下ろし」なのだろうと推察し、悪い癖ではあるのだが、はじめに「あとがき」から拝見した。
そこには、「どの論文にも、大幅な筆削を加えている。……そのため、多くの部分は書き下ろしたものになった。それは、あらためての発見に満ちた、喜びの作業であった」(261)とある。
しかも、「三部作」の予告も記されている――「言語と政治」「他者と倫理」「歴史と美学」。
この新作は、それらの第1作に当たる。
現在、多忙を極めていることもあり、未読のままではあるが、以下に目次を記しておく。
いずれにせよ、記して謝意を表しておきたい。
『残響の中国哲学』目次
はじめに
序 文字の誕生――夜哭く鬼
Ⅰ 言語と支配
第1章 正しい言語の暴力――『荀子』
第2章 どうすれば言語を抹消できるのか――言尽意/言不尽意論
第3章 オラリテの次元――『荘子』
第4章 言語の政治的支配は可能か――儒家・墨家・道家・法家Ⅱ 起源と伝達
第5章 文字言語としての隠喩――劉勰『文心雕龍』
第6章 他者への透明な伝達――朱子学
第7章 古文、白話そして歴史――胡適Ⅲ 他者の声
第8章 公共空間と語ること――ハンナ・アーレント
第9章 誰が他者なのか――アマニュエル・レヴィナス
第10章 速朽と老い――魯迅
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Comments
言語、つまり言葉と言うのは文字以上に人間の生活に強く関わっているツールですね。
文字は借用文字など多数見られますが、言語においては現在の地球上ですら何千という言語が未だに残っています。
社会学において、政治、経済、文化、歴史等の「教養」が習得できていなければ、理解できる範囲は限られてしまうでしょう。
デジタルツールばかりを重視しても、人間でいる限り、なんらかの社会との接触があるならばアナログツールである「文字、言語」は必須でしょうね。
本来ならばそれを踏まえた上で多種多様なメディアを考察するのが、どこぞの大学だとは思うのですが・・・。
大学のかじ取り、大変でしょうが頑張ってくださいね。
Posted by: 悪趣味な学生 | October 05, 2007 at 08:58 AM
コメントをありがとう。
ご指摘にあるとおりです。
デジタルツールばかりを重視しても、人間でいる限り、なんら かの社会との接触があるならばアナログツールである「文字、 言語」は必須でしょうね。
本来ならばそれを踏まえた上で多種多様なメディアを考察する のが、どこぞの大学だとは思うのですが・・・。
言語はたしかに「ツール」という側面を持っていますが、より基柢的には、「文化的な檻」つまり「世界を分節化するゲシュタルト」と考えたほうが、さまざまな事象を的確に説明することができます。この点を等閑に附した「メディア論」は基本的に皮相なものだとおもいます。
Posted by: harie | October 06, 2007 at 10:26 AM