『トラウマの果ての声』

同僚の岩本和久氏より新著『トラウマの果ての声』(群像社 2007)をいただいた。
記して謝意を表わしておきたい。
氏にとって、おそらくは2冊目の単著だとおもう。
私のように単著のない者にとっては、少し眩しい感じだ。
昨年の後期に、私はというと共編者の大谷栄一氏のご厚意にもたれかかったかたちでしか共編著『ソシオロジカル・スタディーズ』(世界思想社 2007)を準備することができなかった。
だが、氏はというと、私と同じような研究環境にあり、同じような「激動」を共に体験したはずなのだが、さらに単著を上梓された。
「この差はいったい何なんだ!」と、わが身に詰問の1つもしたくなる。
さほど他人との比較などせずに生きてきたつもりだが、どうにも、そんな気分にもなってしまう。
とはいえ、まぁ、いずれにせよ、目出度い。
このスタンスが大事だ。
ということで、「次は私の番だ、順番、順番」とでもおもっておこう。
さて、『トラウマの果ての声』には「新世紀のロシア文学」という副題が附してある。
まだ、パラパラと飛ばし読みの段階ではあるが、この説明口調の副題があることで、よく焦点が定まったかたちになるのだろう。しかし、おそらくは私が「ロシア文学」とは無縁にあるからなのかもしれないが、本書は、「新世紀のロシア」の社会意識あるいは「精神の質」のようなものがどういった準位にあるのかを、よく示しているように感じる。その意味でいうと、「文学」に限定されなくてもよい構図が成立している。
それを大業に語ると、たぶん「文明批評」みたいな位相に成立する言説なのではないかとおもう。
第1章の「日本語で現代ロシア文学を読むためのブックガイド」がきちんとした見取り図を提供してくれるので、私のような門外漢であっても、ある程度は読み進むことを可能にしてくれている。その意味でも、よい構成になっていると感じる。
それにしても、ソ連邦崩壊という〈歴史が終わるという体験〉はたんに体制が革命されるという事態とは決定的に異なっているようにおもっていたのだが、それでも、この世界に次世代が新規に参入し、そうした決定的な事態もまた、それまでの次世代がそうであったように、たんなる伝統へと踏みしめられ、あるいは、それらは内化されつつ反発の対象とされる。
そうした、当たり前といえばそれまでなのだが、そうした文化の機制を再確認させられる、よい機会となった。
この点も、記して感謝を表わさなければならないと感じた。

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