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July 30, 2008

祝 女児誕生

 昨夕、友人に女児が誕生した。
 おめでとう。
 この知らせを受け、「鹿児島の夏は暑いだろうなぁ」などと、どうでもよいことが急に心配になる。
 かれとは大学院時代からになるから、もう30年近くの付き合いだ。

 ご尊父が他界され、新たな命がこの世界に生を受ける。
 たんなる偶有的な出来事が、かれを基点に配置されることで、1つの連結された線として浮上してしまう。
 そんなわけで、輪廻転生といった世界観が妙なリアリティをもってくるから、少し厄介だ。
 夫人似であれば、活発で明るく可愛い女児として成長するだろう。
 いずれにせよ、子どもが誕生するという、原基的な、いわば「動物的な営み」は、なぜかいつでも、どこかに神秘性を附随させ、自身の気分を日常性から逸らせるようだ。
 かのじょの人生に幸多きことを祈っている。

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July 29, 2008

「日本現象学・社会科学会」の公式サイト準備

 いきなりで恐縮するが、「何だよ、今さら……」という声が聞こえてきそうな話題を1つ。
 とはいえ、この学術団体にとって、これは「画期的な出来事」なのだとおもう。
 私も若い頃からかなりお世話になっている「日本現象学・社会科学会」が公式サイトを準備している。
 これが、「出来事」の内実である。
 この「公式サイト」の準備がすすだのは事務局をご担当いただいている須藤真也さんのご尽力によるものだ。
 周藤さん、ご苦労様です。
 深謝。
 じつは、これまでも関連するサイトがなかったわけではない。
 青山治城さんが管理・運営している「日本現象学・社会科学会の記録」という「私的サイト」が存在しているからだ。
 このサイトは、名称のとおりで、この学会の「過去」を集積している。
 しかし、やはり「公式サイト」となれば、当然にも「未来」をも指向することになる。
 実際、学会の案内はこのブログでもできるだけ掲載するようにしてきたが、やはり「網羅性」となると不確かになってしまう。
 その点でも、やはり「公式サイト」であれば、情報も確実だろう。
 すでに周藤さんによるパイロット版も完成している。
 おそらくは、それほど遠くない時期に、「日本現象学・社会科学会の公式サイト公開」というお知らせができるようになるのではないかとおもう。
 

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July 28, 2008

誕生日という迷宮

 生誕の瞬間を覚えていない。
 否、そもそも幼少期の記憶なんてものは、かなり断片的で、しかも母などとの会話で後日的に構成したものだといってよいだろう。
 これも、より正確にいえば、記憶全般が構成性から自由ではない、と附言しておいたほうがよいかもしれない。
 それは、多くの「凡人」にとっては自明なことのはずだ。
 だから、「誕生日を祝う」ということ自体は、はじめから現在性としか関係していない。
 つまり、「誕生日」に記念性が生じるとすれば、それは「現在の関係域における位置価の確認」とでもいえばよいのだろうか。
 この前提的な了解が、ややせつなさをもたらす。
 じつは、昨日が私の誕生日だったのだ。
 友人がメイルで祝ってくれた。
 ありがたいことだと、しみじみ感じる。
 というのも、日常を共にする家族は誰も、その日が「記念日」だという理解を示さない。
 何も、この年になって、「誕生日ごときを祝って欲しい」といいたいのではない。
 やはり、近代人の一人である以上は、何らかの達成をもってしか「祝い事」は現実味を帯はしない。
 たんに「生まれた」という「事実」らしきものが「大人」にとって祝賀の対象となるとしたら、それは、それ自体が記念に値すること、例えば「長寿」といったこと以外にはないだろう。
 むろん、私の年齢は、そうした域に達してはいない。
 
 やれやれ、そんなことを翌日になっても考えてしまう。 

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July 27, 2008

体験講座終了

 本日、私の本務校である稚内北星学園大学で、「教師をめざす中・高生のための体験講座」が開かれ、先程、無事に終了した。
 中学生は皆無、また参加してくれた高校生の数も少なかったが、全体としてよい体験講座となった。
 とりわけ「学生による模擬授業」は、妙な緊張感まで漂い、不思議だが好感のもてる空間となった。
 学生諸君の事前準備やそれを支える熱意、また、ご指導いただいた教職課程の先生方には、そのご苦労をねぎらうとともに、深く感謝しなければならない。
 くわえて、今回の講座には、市教委の方々からも多面的なお力添えをいただけた。
 そんなわけで、動員人数という点での反省点は顕著なものの、コンテンツとしてみた場合、マイナス面は「学生の模擬授業」において「講評のための時間」がとれなかったぐらいではないかとおもう。
 来年の2月期には、市内中学校との連携で、同種の体験講座を実施する計画もある。
 いずれにせよ、「今が底」と信じて、やるべきこと、やれることをすすめよう。
 それにしても、少し疲れた。
 きっと、今日のビールは格別に旨いはずだ。

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July 24, 2008

良書だ

20080704 創元社の「知の再発見」双書の1冊、『宗教改革――ルター,カルヴァンとプロテスタントたち』(オリヴィエ・クリスタン著 1998)はまさに良書だとおもう。
 より正確には、この双書そのもの、つまり、この企画自体が優れている、というべきかもしれない。
 「絵で読む世界文化史」と謳うだけのことはある。
 私は、たまたま『宗教改革』を手にしたのだが、ぜひ、全巻を揃え、学生諸氏の閲覧に供したいとおもう。
 さて、本書にあるカルヴァンの記述におもしろい指摘があった。
 時は、1541年11月20日。カルヴァンによる「教会規則」がジュネーブ議会で承認される。
 そこには、「教会の職制は4種るに分かれる。牧師は説教と聖礼典(洗礼と聖餐式)を受け持ち、教師は聖書の教育に当たり、長老は信者の道徳指導や教会規律の監督をし、執事は救貧院や病院の運営に当たる」とある。
 たんなる連想に過ぎないのかもしれないが、これが「教師聖職論」の起源だろうか。
 気になる。
 すぐに対応できるわけではないが、しばらく心に留めておきたい。

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July 18, 2008

仕事は続く

 今日は珍しく時間的な余裕を持てている。
 そんなわけで、珍しく直接には授業準備に関わらない著作などを読んでいたのだが、やはり、というべきか、来室される方が続いている。
 ここのところの日常は、あまり在室状態にはないのだから、いらしてくださる方々の存在自体を把握できていないのかもしれないが……。
 それにしても、学生が訪ねてくるというのも、ゼミを持たなくなってからは、ほとんどなくなっている。
 少し寂しくもあるが、反面、どこか「快適さ」もあるから厄介だ。
 たぶん卒業生の来訪者は、年に数人もないだろう。
 だいたいは旧プロレス研究会系と相場は決まっているのだが、旧会長がチェコ在住期間は、それも皆無だった。
 先月に続き、帰国したかれが、本日もまた訪れてくれた。
 嬉しくもあり、煩わしくもある。
 かれとは、海賊男として会員を1号・2号……と増幅させて遊んだりもした。
 私としては、ほんとうはストロングマシン1号・2号……をやりたかったのだが、覆面が用意できなかったのだ。
 そんなかれも、来月で29歳になると知る。
 またもや、「少年老イ易ク  学成リ難シ」を実感する。

 そんなわけで、今日は久しぶりに「午後をゆるゆると過ごし、夕方には帰宅しよう」と考えていたが、これは、たんに私が失念していたことで生じた「妄想」みたいなものだった。
 19時から、外部の方々も交えた「会議」がある。
 
 これを書いた後、せっかくだから「平田君」の覆面姿でもみようかとネット検索をしてびっくり!!!
 ストロングマシン1号・2号を名乗る、たぶん芸能活動系の方々が、まさに現役のようだ。
 「今は昔」と嘆くべきか、己の無知を恥じるべきか。
 でも、さすがに「ヒロ斉藤」はいないだろう。
 
 いずれにせよ、仕事は続く。
 

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July 17, 2008

ゴルゴダの丘に立つ

 ここのところ体調が優れない。
 そのために、生活のリズムがズレ、妙なことになっている。
 じつは、私はほとんど夢をみる自覚がない。
 年に数回の自覚があれば、かなり多いほうだとおもう。
 それが、ここのところずいぶんと夢をみる。
 その理由もよく把握はできているのだが……。

 じつは、私は夜更かしができない。すぐに眠くなるし、そうなると寝る。
 それと相関して、寝覚めがすこぶる良い。
 要するに、パッと目覚めるし、そのときに、だいたいは空腹を痛感するから、すぐにでも朝食をとりたくなる。
 だから、多くの安定した朝は、6時には起床し、ココアかミルクティをいただく。
 むろん、甘いやつだ。そうしないと、血糖値があがらないから、空腹に耐えかねる。
 こんな、長く続いた生活のリズムが崩れはじめている。
 とはいえ、目覚める時刻に、さほどの変化はないのだが、どうにも布団からでたくない。もう少し横になっていたい。
 そんな感覚は、子どもの頃から抱いたことがない。
 しかし、ここのところ、どうにも横になっていたい。
 そんなわけで、少し朝寝をしているようなのだ。
 だが、眠りは驚異的に浅い。
 それで、夢をみる自覚が生じるというわけなのだ。

 先日のこと。

 突然、息子の声がどこかからか聞こえてくる。
 そちらに向かおうとおもうのだが、待て、ここはゴルゴダの丘の上だ。
 かれを放置して、「そちら」に行くわけにはいかない。
 しかし、行かなければ。
 だが、かれを置いてはいけない。
 嗚呼。

 こうして私は、世界史的な葛藤と逡巡を、朝の6時50分に自宅の布団のなかで経験した。
 むろん、なぜ私がゴルゴダの丘に立っていたのか、その理由は解らないままだ。

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July 16, 2008

他者と共に在ること

20080703 先に大学生と中学生との接点について触れたところで、「他者と共に在ること」を語ったが、そこで念頭にあったのは、じつはかなり以前の著作なのだが、『沈黙と自閉』(松尾正 海鳴社 1987)であった。
 松尾氏は「シュッツDa-sein論」をかなり我田引水的に解釈しているともとれるのだが、それが逆に、シュッツの立論の異様さを浮き彫りにしてくれていたと記憶している。
 この点は、ヴァルデンフェルスのシュッツ批判とのなかで、やはり明確にしなければならない論点だったとおもうのだが、残念ながら、まだ具体的なかたちにはできていない。
 松尾氏が語っているのは、「他者と共に在ること」という日常的なありふれた事態そのものが、謂わば「奇跡」なのだということなのだとおもう。
 むろん、かれは、そのような言葉を使用しているわけではない。
 だが、「他者と共に在ること」自体に生起するメカニズムは、分析的にみれば、やはり「奇跡」と呼ぶに相応しい。
 関心として明瞭化される以前的な意識の志向性が、他者へと向かう。
 他者は他者である限り、私の志向性を充実させる。
 その相互性が成立するときに生起する、ある種の「充実され、溢れる安寧」とでも呼べばよいのだろうか、そうした「充足」「充実」がもたらす「安定」を前提とする個々の関係性といった、関係自体の志向的な分析は、説得的であると共に、やはり特異なものだろう。
 というのも、それは、形式的には、ヴァルデンフェルスがそう確言してしまったように「空虚」でしかないからだ。
 それを「空虚」とみるのか、「充実」とみるのか、その岐路にあるものが、まだ上手くつかめないでいる。

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July 14, 2008

坪内晃先生

20080702 私が勤務する稚内北星学園大学のすぐ隣に稚内市立潮見が丘中学校がある。公式サイトはこちら⇒。
 この潮見が丘中学校の校長である坪内晃先生に、今年度より本学の新入生のための導入教育の一環でもある「基礎演習Ⅰ」を非常勤講師としてお手伝いいただいている。
 坪内先生はいつも笑顔を絶やさず、同時に、実現可能性を視野に入れつつ、いつも大胆なご提案をされる魅力的な方である。
 坪内先生は、今回で第7号になる「校長室から」(7月11日)という生徒向け通信に本学を取りあげてくださっている。第7号はこちら⇒。
 そこには、「近くて遠い学校」という現状認識とともに、「近くて近い学校に変わる」可能性にも触れられている。
 また、このサイトにある「校長室より」の横には「私は、この大学に対する意識が昨年と今年で大きく変わった。現地へ行って見ること、話を聞くことの大切さを思う。外から見ているだけではわからないことは多い」とも附言されてある。
 こうした情報発信をいただけることに深謝するとともに、私たちも、他者からの視線に対して単に異和を抱くだけではなく、そうした異他性に寄り添い、理解を促す努力をきちんと歩まなければならないと痛感する。
 はたして中学生と大学生とでどんな付き合い方ができるかはよく判らないところだが、たいせつなことは、「共に在ること」であったりするのだから、基本的に何ら心配はいらないはずだ。

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July 10, 2008

耳鳴り

 昨日の夕方から突然、耳鳴りがひどい。
 かなり具体的に、しかも大きいのだ。
 最初は使用しているコンピュータが原因かともおもい、まずは研究室をでてみた。
 だが、廊下もまったく同じ大音響だ。
 じつは、それで現在的に体験している事態が「耳鳴り」だと把握できたのだから、現に体験している事態に適切なカテゴリーを重ねるのは難しい。
 そんなわけで、かなり驚いている。
 信頼する同僚によれば「過労」が原因ではないかとのこと。
 「なるほど」と腑に落ちる指摘なので、すぐに納得してしまった。
 だが、そうだとすると、この事態への対処は一義的に決まる。
 つまり、「休息が必要だ」ということだ。
 だが、それができれば、こんな事態には陥ってはいない。
 そんなことを、あれこれとおもいつつ帰宅し、少し横になると、そのまま簡単に寝てしまった。
 それが功を奏したのか、ずいぶんと音が弱くなった。
 その後、夕食や入浴を済ませ、本格的に就寝する。
 しかし、今朝の状態は、すっきりとしている期待は裏切られ、なかなか布団からでたくない感じだった。
 要は、ここのところとまったく同じ状態なのだ。
 ということで、そうは簡単に過労から解放されないということなのだろう。
 今日は、ほんとうに早くに帰宅しよう。
 そして、明日に備えよう。
 学期末試験の問題も作成しなければならないし、明日は、あちらこちらとご挨拶をしなければならないのだから……。
 

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July 04, 2008

息切れという実感

 このブログを連日、どこまで書けるか試してみたのだが、「7日間」で息切れてしまった。
 じつは、少し前にある同僚から「幸せなブログ」と称されたことが、そのきっかだった。
 だが、こうして試行期間が終了すると、この短期間であれば、たしかに「のんきな父さん」的ブログにちがいない。
 それにしても、連続して毎日書くということがどんなに凄いとなのかと、まさに実感したおもいだ。
 それはどこか苦行にも似ている。
 別段に「ネタ切れ」という事態で、そうおもおうのではない。
 このブログのように、日々に感じたことを脈略もなく書くのであれば、そうした事態には陥らないからだ。
 問題は、気力のようなところにある。
 あるいは、ある種の「視野狭窄」かもしれない。
 いずれにせよ、私の性質では続かないし、そこに新たな問題が浮上するわけでもない。
 まぁ、あえていえば「御見それしました!」とでもいっておこうか。

 ところで、今日から「北門神社のお祭り」がはじまる。
 祭りは、幾つになっても楽しいものだ。
 それにしても、もう子どもたちと同行しなくなって数年も経つ。
 それは親父としては切ないのだが、それを倍化させるように、何ともうら悲しい電飾が、この祭りを盛りあげる。
 その不思議さは、何かに喩えようもない。
 
  
 

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July 01, 2008

『盛岡大学紀要』

 少し前になるが鈴木健之さんより、かれが勤務される大学の紀要『盛岡大学紀要』第25号(2008年)をお送りいただいていた。
 記して謝意を表わしておきたい。
20080701 ちなみに、盛岡大学のサイトはこちら⇒
 この紀要に鈴木さんは「男性育児休業についての社会学的一考察」を寄せられている。
 そこで、早速(というにはかなり遅くなっているのだが)、昨夜に拝読させていただいた。
 一読だけでの印象を書いてしまうと、本格的な作業に入るための「助走」のように感じる。
 実際、鈴木さんはかなり禁欲的な設定をされているので、この読後感は張江の独断というものでもないようにおもう。冒頭でかれ曰く、
 「本稿では、育休を取り、育児に専念した男性の話を聞くことに専心したい。興味深いことに、現在、入手可能な男性による「育児休業日記」はすべて新聞社から出版されている。「男女共同参画時代、男も育児休業を!」といったフェミニスト的な言説を普及させようという意図が見て取れるが、まずは読んでみることにしたい」。
 この引用箇所後半部の指摘は「男性の育児休業と出版のポリティクス」といった領域設定で、とてもおもしろいテーマに発展すると感じる。
 なお、ご論考の最後尾にある指摘、「フェミニストの主張やフェミニスト的政策の前提(対象)は都市のサラリーマン家庭であったため、他の家庭の(その男性にみならず、女性の)指示を取り付けることができなかった」という指摘は、人種問題や階層性といったジェンダーの複数性の論点とも重なり、興味深く読むことができた。
 全体としては、かなり鈴木氏の「実感」に裏打ちされた立論が前景化されていて、その分、いくつもの「原石」が詰まっている、貴重なご論考になっているとおもう。
 

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