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July 16, 2008

他者と共に在ること

20080703 先に大学生と中学生との接点について触れたところで、「他者と共に在ること」を語ったが、そこで念頭にあったのは、じつはかなり以前の著作なのだが、『沈黙と自閉』(松尾正 海鳴社 1987)であった。
 松尾氏は「シュッツDa-sein論」をかなり我田引水的に解釈しているともとれるのだが、それが逆に、シュッツの立論の異様さを浮き彫りにしてくれていたと記憶している。
 この点は、ヴァルデンフェルスのシュッツ批判とのなかで、やはり明確にしなければならない論点だったとおもうのだが、残念ながら、まだ具体的なかたちにはできていない。
 松尾氏が語っているのは、「他者と共に在ること」という日常的なありふれた事態そのものが、謂わば「奇跡」なのだということなのだとおもう。
 むろん、かれは、そのような言葉を使用しているわけではない。
 だが、「他者と共に在ること」自体に生起するメカニズムは、分析的にみれば、やはり「奇跡」と呼ぶに相応しい。
 関心として明瞭化される以前的な意識の志向性が、他者へと向かう。
 他者は他者である限り、私の志向性を充実させる。
 その相互性が成立するときに生起する、ある種の「充実され、溢れる安寧」とでも呼べばよいのだろうか、そうした「充足」「充実」がもたらす「安定」を前提とする個々の関係性といった、関係自体の志向的な分析は、説得的であると共に、やはり特異なものだろう。
 というのも、それは、形式的には、ヴァルデンフェルスがそう確言してしまったように「空虚」でしかないからだ。
 それを「空虚」とみるのか、「充実」とみるのか、その岐路にあるものが、まだ上手くつかめないでいる。

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