命名あるいは固有名
友人に誕生した女児に名前がつけられた。
漢字からはかなりしっかりとしたイメージが喚起されるが、音はとても可愛い。
それにしても、命名行為はあまりにも決定的だと再確認する。
これは、旧くからフォークロアが適切に把握してきたことだから、本来的には驚くには当たらない。
それは了解しているつもりではあったが、やはり命名行為が存在を確保するのを目の当たりにすると、妙に新鮮で、どこか高ぶる。
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Comments
張江さんの長男のヨ-ちゃんから我が子の誕生を祝う連絡をもらった。姉の長男のタロ-とこのヨーちゃんはほとんど同じ年だったことから、クリスマスや餅つきなどでよく一緒した。この二人は、くしくもいま理系の大学院に通っている。彼らにどのような将来があるのか私にはいまいちわからないが、少しでも頭を鍛えてくれればと思う。我が子はこのタローやヨーちゃんと年齢差二十歳以上ということになる。で、私が定年になっても、彼女は成人式を迎えていないことになる。とほほ……。
ともあれ、彼女は元気に過ごしています。
腰痛とのこと、注意してください。
Posted by: まあ | August 14, 2008 at 03:45 PM
コメントをありがとう。
あたりまえのことですが、「人」は「人と人とのあいだ」で生き・育つものです。これを大業にいえば「関係の第1次性」ともいわれるわけですが、要は、「親はなくとも子は育つ」という格言のとおりで、どのような関係域かが問題というところです。じっさい、我が子を長期間みていると、たしかにかれらは愚息にはちがいないのですが、それでも、否、それだからこそかもしれませんが、「人の成長を信じられる」、そう強く感じます。
Posted by: harie | August 14, 2008 at 04:21 PM