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October 27, 2008

メリトクラシーという前提

 メリトクラシー(meritocracy)はヤングによる造語で、「メリット(merit)」と「政体(cracy)」とをそのまま組み合わせたものだから、かなり判りはよいものだとおもうし、かれが用いてからすでに50年ほどの年月が経っているのだから、もはや発案者の名を冠する必要もないのかもしれない。
 前者が「功績とか手柄」とかの意味だから、端的にいってしまえば、「近代社会」の理念的な構成原理と同義といってもよいようにおもう。
 ここで注意しなければならないのは、近代以降の社会の「構成軸」は何も業績性(achivement)に単純に還元されるものではないのだが、そうであるにもかかわらず、理念的には、業績性やメリトクラシーをもって構成原理とするというところだろうか。
 このあたりの問題は、かつて経済学者の岩井克人氏が1980年代に提起していたものと同じだとおもうし、この側面をもって「イデオロギー」と指摘されるのも、それはそれで妥当な論点だとおもう。。
 何で今さら「メリトクラシー」が気にかかったかというと、今朝の橋下徹大阪府知事のニュースを聞きながら、わが国はこの心性が大衆的に徹底されていると改めて感じ入ったからだ。
 ニュースはこちら。 
 かれの発言それ自体は、せめてもう少し発言の仕方には配慮が必要だろうとおもう程度だが、その大枠は政治的位相で形式的に捉えれば妥当なものだとおもう。
 さて、本題に戻って、私自身の考えを述べれば、メリトクラシーを前提にするのならば、きちんと「業績性」に基づいた「自由競争」をしようじゃないか、ということに尽きる。
 つまり、現状は決してメリトクラシーに覆われた世界とはいい難い。
 だが、大衆的にメリトクラシーが大衆的な信憑性を獲得している。
 この二律背反的な状況がずっと続いているとおもえてならない。
 以前に、若き友人である浜島幸司氏と共同して書いた拙稿がある。
 もしも関心をいただけたなら、お読みいただきたい。⇒「大衆教育社会と〈自己実現の物語〉」
 それにしても、執筆時から3年程度の期間をおいて、自分自身の考えがあまり深化できていないと感じる。
 ここのところ毎週通院している鍼灸院で「頭のめぐりのよくなるツボ」でも刺激してもらおうか。

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