環境問題への対処は難しい
来年度から「環境問題」に関する授業を担当することになっている。
現在は、雑事をかいくぐりながら、その準備に追われている。
むろん、この問題に向かう基本スタンスはすでに形成している心算だが、やはり、授業として論じるとなると、なかなか上手くはいかない。
授業である以上は、自身のスタンスをただ開示するだけでは駄目だからだ。
つまり、授業である限りは、どうしても「アレやコレ」をある程度は横断的に示すことができる、謂わば鳥瞰する視点が必要になるのだが、この問題では、どうしても、そうした視点そのものが、どこか胡散臭くなる。
その理由は、おそらくは2つあるようにおもう。
以前にも、ここでも少し書いたのだが、地球規模の環境問題を解決に向かわすための方途は、単線的に政策論的な議論に収斂させてはならないだろう。
これが第1の要点だとおもう。
つまり、「究極的な目標」、この場合は「地球規模の環境保全」ということになるのだが、こうした、だれも異論をさしはさめないような「目標」から演繹的に議論を下降させる流儀を採ると、絶望的な息苦しさのなかで、「個人」や「自由」は必ず窒息してしまう。
それを以下に簡単に図化してみよう。
1.現況が良くないから改善しよう。
(この出立点から問題があるわけではない。)
2.どのように改善しようか、相談しよう。
(これも良いはずだ。)
3.昔は、こんな生活ではなかったし、その時には、環境問題も未だ生じていなかった。
(この認識も、このままであれば、問題はないはずだ。)
4.少しぐらい不便でも、生活形式を変更させよう。
(こうして、結局は、「昔々あるところに原始共産制があったとさ……」といった具合の「疎外論的な議論構図」(お伽噺と読みましょう!)を梃子にして、とてつもない現状否定が開始される。)
むろん、そうなるか否かは、これからの問題なのだろう。
だから、何も焦る必要もない。
だが、やはり事前に捉えられるのであれば、注意することに越したことはないはずだ。
やれやれ、予定の休憩時間を超えて、少し長くなってしまった。
指摘だけのもう1つの方途に触れていこう。
それは、「南北問題への解決の目処がみえないならば、現況の環境問題も解けない」という、とても単純な事態を直視しようということに過ぎない。
さぁ、準備に戻らなければ……。
明日からまた、雑事に追われるのだし……。
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