瀬古利彦という頑迷
箱根駅伝のテレビ観戦で強く印象に残ったのだが、解説者として招かれていた瀬古利彦さんの頑迷さに、何ともいいがたい両価的な感覚を抱いた。
とはいえ、こうした感情は別段に珍しいことではないのかもしれない。
というのも、例えば、「愛される頑固じじい」という存在は、たしかに近年では少なくなったとはいえ、決して珍しいものとはいえないからだ。
さて、私たちの年代であれば、それこそ「誰でも知っている」有名人である偉大な選手、瀬古さんに「頑迷」などと負のレッテルを貼っては申し訳ないのかもしれないが、かれの「言動」は、とても解説といえるものではなかったとおもう。
かれの「早稲田愛」は、その入学時からかなりのもので、いわば「周知の事実」であるにせよ、特に、復路で顕著になった「早稲田への溺愛のベクトル」は、聴く者を、少なくとも、私をとても不快にさせた。
かれは私より若く、むろん、まだ「じじい」になるには早すぎる。
だが、そこにあるのは、ただただ「自分の願望(我がまま)」が実現できない現実にいらだっている「老人」の心性以外の何ものでもないようにみえた。
「少しは自分の立場(解説者)というものをわきまえろよ!」
だが、こんな気持ちがかれに届くはずもない。
まったくもって不快だが、とはいえ、歴史的な出来事が生起し始めている、この場面を見逃すわけには断じていかない。
「これはもう、ほとんどテロだな」、などとおもいつつ応援を続けていたのだ。
しかし、その頑迷さを躊躇もなく表出し続けるさまは、どこか仔猫のようでもある。
この想念が、瞬時に、すべての構図を転換してしまう。
これだから困るのだ。
まったく……。
というわけで、瀬古利彦氏の頑迷さはおもしろい。


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